またしてもブログだろうね。

いまだに藤岡康太の事を思っているとしたら迷惑だろうが命や心や精神を思っつる

何故ならね、インドの素晴らしい仏教家はいう
人は死んだらねどうなるかわからないんですよ

クロウエア号の2連勝などはいまだに見ちゃうかも。
ラスハンメルもありがとう。

私は祖父と祖母に常に感謝しとる
一番は母方の祖父で

戦争で与論島飛行の記録、日記調のを書いたんだがただの文章じゃなくてね。

まるで詩だ。

わなしは詩人か小説家に成りたかったが
あの頃の憧れであった芥川龍之介
太宰治

のようなシンプルな言葉で綴られた戦争の記録よねわたしの祖父は書いて残したの。
一度だけど会ったことがあり、その時には痴呆症だという事だったが。出会った瞬間に身体が震えて、貴方の槐多(天才村山槐多)違った書いた文章が如何に凄まじいかを伝えた

ほぼほぼ痴呆症になっていたが、彼の飛んだ太平洋の空、沖縄基地への帰還などは想像もできないことだが、凄まじくリアルに描かれていた。

関東地方から沖縄基地に帰る空軍の一団で、戦闘機の損傷によりひとり遅れて空の上、そうして故郷の与論島で当時は禁じられていた飛行をしたはなし

軽く文書うをそらでしたため

故郷の世論じまの母と家族に
手紙をしたためた

それを後に戦争記録みたいな形で私は祖父の体験記の一小文を読むのだが衝撃を受けた。
その文章は、太宰治ところか、夏目漱石ちゃなかった、芥川龍之介にも匹敵するほど

それほどに美しかった

文豪はわたしには敵である。ライバル

友人に詩人や文学者が
いないからかもしれないが

ただそのように感想を述べて
痴呆症とされていた爺さんが
喜んでいたのを感じた

爺さんは
その後に
亡くなる直前に母が見舞い、
一瞬だけ意識を取り戻して母と、
普通に会話をしてから直ぐに亡くなった

奇跡的だと思った


わたしは生きている限り

宇宙という神秘におののいた

ひとつは太陽であり
それを神とする文化は
かなりある

そうして海こそがまた

だがそこまで考える人
はいない
存在を思うとそうなることは詩人ならば気づくこと
かの詩人
アルチュール・ランボー

また見つかった何が永遠が
それは海と溶けあう太陽

詩の頂点は既にこれをこえれない
何故ならばこの上は宗教や信仰になってしまう

つまり神や仏の涅槃などの話

だがわたしは詩を書きたいな

と思っている

太宰治や芥川龍之介の
年齢を超えた、わたしのプライドは
彼らに追随するよな

キリストの十字架や

ブッダの涅槃
などわたしは奇跡を追い続け

そうしてわたしは今
鏡をみて等身大の自分をみている

アル中

ほおにできた謎の腫れ
全てを放置している

大腸の不調からの好調
からの不調(なんやねん!)

宇宙地球太陽に風
海からの道が
あるように愛


わたしは一切あなたがたを愛さない
が多分だがわたしを生んだ

神とか太陽や海や地球や風や鳥たちや植物やら昆虫やもっと乳酸菌やらはあなたを愛しているとおもう

わたしは多分しょうもない近況
でも最近は恐れなくなる実状は
少しだけ歩を進めて帆を上げ船をだす

日常

近況はそんな感じで環境は最強な主

美しい女神を夢みて

賑わうね願うのは平和

ある宇宙に溶けあうアル中

祈りは

願うは

未来は

ワタシは
宇宙はyoyoyo
道は
wayway