2018『モーツァルト!』が開幕してもう1週間以上が経ちました。

 

連日沢山のお客様のご観劇、ありがとうございます。

 

今回は新セットでの新しい演出で、新曲が増えたりカットがあったりと体感時間や身体の疲れるところとかがまた今までと少し違ったり、です。

 

そんな中先日8年前にアマデ役をしていた子が偶然にも連日で観に来てくれました。

そのうちの一人の女の子は8年前の公演以来に会ったのですが、今17歳ですってすっかり大人の気配がする素敵な女性になっていて。

それはそれは顎が外れるかと思いました。

 

モーツァルト!の幕開きすぐの『奇跡の子』と言うナンバーで、幼少期のモーツァルトについて歌っている歌詞で『この子の未来に』と歌っているところがあって、昔からその瞬間にアマデ役をやっているその子本人への想いがクロスする事が何度かあるのだけれど、その時に感じた『何か』が楽屋での数年越しの再会で心にドスンと響きまくるのです。

 

女の子なんかは特に大人っぽくなると誰!?ってほど成長しているのですが話すと昔の気配が表情の中に見えて、なんだか嬉しくなります。

その子の原来の素敵なところの上に、素敵に年齢を重ねてまた会えたのがなんだかとても嬉しい。

 

そして、元子役ちゃんだった子たちとの再会は、同時に自分のことを振り返るきっかけにもなるわけで。

 

 

この1年くらい舞台に立つことや、仕事全体に対しての考え方や感じ方の過渡期にある感覚があって、そんな中にそういった再会をした時や、13年間聞いてきた懐かしいモーツァルトの音楽で満席の帝劇の客席をカーテンコールで見上げるときに毎回いろんな想いがめぐります。

 

おセンチメンタルにもなる時もあるし、なぜか本編よりも身震いがしたり、カーテンコールって不思議で素敵な時間だな、と思います。

 

 

そんなモーツァルトが開幕してからなぜか劇場以外の道端とかでも『バッタリ再会』がものすごく多くて、どのくらい『バッタリ』かと言うと今まで経験した中でもベスト3に入るであろう映画ばりのバッタリの仕方が連続で2件起きて、トップ2件が入れ替わる事態です。

 

 

その中の一つのバッタリ再会をした日、たまたま個人的に色々とショックな事や考えないといけないことが重なり、なかなかに落ち込んでいた日でした。

 

でもその日にその人とバッタリ会えたことの嬉しさで、根詰めて考えてしまっていた心が瞬間で揺るんで少し悩みが減った感覚になりました。

その日その悩みや悲しみについて考えすぎてもあまり意味は無いって頭でわかっていても、そう上手くはいかなくて、そんな中猫騙しみたいに再会したことだけで全然違う風が吹いて気持ちが楽になるだけでほぼ解決した気持ちになるなんて、なんだか私も調子いいやつだなと思うけど、そんなものか、そんなものだとるんるんに帰りました。

 

 

優しさに対する価値観はそれぞれだけれど、私にとっての『優しさの価値観』はその人みたいなことだったんだろうな。うん。すみませんブログで文章書きながら自分の頭を整理したようです。苦笑

 

お付き合いありがとうございました

 

 

なんだかまだバッタリがありそうな6月、あるといいなと思いながら、あした(今日だけどさ)も絶賛マチソワだい!

 

 

おやすみなさーいお月様