政治ブログじゃないので、悪しからず。
政治的なことは、ブログに書かないのがポリシーです(`・ω・´)ゞ
それはさておき愛国心です。
とかく思想や軍事的な香りのする言葉ですが、これを持つことはごく自然なことだと思っています。この愛国心を間違った方向に向けてしまった時には大変ですが、愛国心自体は何の問題もありません。
むしろどういう形にせよ、絶対に持つべきものだと思っています。
個人的感覚で言えば、日本人は一時期の歴史的経験により、この愛国心を持つことに対して臆病になり、ついにはそれを止めてしまった感があります。それが次の世代にその止めたことだけが伝わり、今は何となく愛国心のない人が多いという・・・要は最悪の状況なのです。
なぜ、この話題を取り上げたかというと、理由は2つ。
1つはずーっと気になっていたことでもあるのですが、日本人の日本(人)に対する自らの評価の低さ、しいて言えば一部の日本人の海外に対する卑屈とも言える感覚に対する嫌悪感を感じる、そんな機会が、最近何度かあったからです。
海外(のもの)は素晴らしい!
それに対して、日本(のもの)はそれに及ばない。
遠からず、この感覚です。
手っ取り早いところで言えば、文化の話。
世界(特に欧米)の町並みは素晴らしい。建築や絵画は、到底日本のそれらが適うものではない・・・そんな話をよく聞きます。
断言しますが、これは間違い。
俺は曲がりなりにも大学院まで建築を学び、曲がりなりにも学芸員資格のため美術を学びました。大勢の人に学び経験し、自らの研究を進め、時として留学生らと交流を深めるなかで、改めて日本の文化の素晴らしさを何度も痛感しました。
何より驚くのは、その海外での評価の高さです。極論ですが、欧米人のそれ以外に対するある種の差別的感覚は、未だに拭えません。欧米にルーツがないものの評価は、まず一段下がったところから始まるということです。それで、この評価の高さ・・・驚きです。
客観的に見て、当の日本人自身の自己評価が低いことと比べ、奇異な感じすらします。逆のパターンはよく見られるのですが、これは日本ぐらいのものですね。
これはこれで日本人独特の感覚であり、奥ゆかしいと表現すれば美徳にもなるのかもしれません。ただし、行き過ぎればただの卑屈です。奥ゆかしさの中には、確固とした自我がないと成立しないもので、まさにここがポイント。
自我(セルフ・アイデンティティ)・・・つまり自分の立ち位置が確立しない状況では、他の評価は良くも悪くもできないものなのです。同じような人たちだけの世界に閉じこもるならともかく、外側の世界ではそれは通用しません。
自分のこともままならない人からの評価がフワフワしているのと同じで、自分の国のことを適切に評価できていない人の主張は、決して重くは評価されません。ひと昔前の、アメリカだったら何でも素晴らしい!みたいな感覚と同じで、相手(国)からすればそれこそ格下、決して対等には見れません。
大切なのは、これを認識した上で、ようやく他(国)との比較・対話ができるということ。これが大事な共通言語(感覚)。自分を知り、相手を知ることで初めて対等な関係なのです。
日本ではこうなんだけど、あなたの国ではそうなんだ・・・それは凄い(or違う)。
日本ではこう考えるけど、あなたの国ではそう考えるんですね。
当然、日本が劣る様に見えることも多々あるかもしれません。しかし大抵は・・・いや、そのほとんど全てに要因があるはずで、それを理解しさえすれば実際に‘劣る’というものはまず無いと断言できます。
少なくとも、日本はそんな扱いを受ける国ではありません。他に誇れる歴史を持ち、それ相当の文化を持つ国なのです。ここは誇りに思うべき部分。
その先が、初めて個人的感覚。これは全く否定できません。重要なのは、自分の立ち位置をはっきりさせておくということで、何が何でも日本を素晴らしいと思え!ということではありません。それこそ誤解。
とは言え、外国の雰囲気が好き(or嫌い)。
とは言え、外国の思想が好き(or嫌い)。
これで、ようやく説得力がありますね。
逆にこういう考えに立てば、一見日本より劣る様に見える国があったとしても、その要因までをもしっかりと比較できていれば、単純には‘劣る’評価が出来なくなるはずです。その国にはその国の理由が必ずあるのですから。
これも、国としての自我をしっかりと持ち得ているからこその思考・・・大変、要なこと。自我を持ち得ないで、手放しで欧州を礼讃するような人が、例えば発展途上国などを軽んずる傾向があるのはこのためです。
何かアツくなっちゃいましたね~。
ま、ここは俺のお部屋(ブログ)ってことでご勘弁♪
溜まってたもの吐き出して、勝手にスッキリしちゃいましたよ。
『出すって、大切~♪』・・・なんかのCMみたいです。
( ´_ゝ`)ゞナンカ、ワルイネ
ここまでの話、日本を自分(個人)にあてはめても全く同じこと。他人と対等に接するためには、まずは自分の評価をきちんと自分ですること!=自我の確立・・・つまりは青年期にはクリアすべきことなんです。
愛国心(=自分の国に対する自分なりの評価)が持てない・・・これは国民として青年期へ到達できていない、つまりはモラトリアム。自我の確立へ向けてもがいているならともかく、それを放棄しているようなら、なんとも幼稚な停滞に過ぎません。
残念・・・日本には誇れるものが溢れているというのに・・・。
この3連休に箱根-日光と訪れ、日本の自然や文化の美しさを改めて再認識。
やはり日本は美しい。
そう思ったのが2つ目の理由。
この風景や建物・・・そして文化。
これらを目の前にしても、まだ卑屈になる日本人がいるのだろうか?
・・・そう思ったのです。
( ´_ゝ`)ゞイヤイヤ、カンドウシタヨ
この期に及んで余談です。
先のサッカーのW杯で‘日本が勝てるわけないよ!’という意見はよく聞くものでした。自分なりの考えに基づいてのことなら否定しませんが、中には‘だって日本だもん’というものが多く、なんとも残念。
ゴルフでもそう。日本人がメジャーを狙う!なんて無理無理
・・・‘だって日本人だもん’・・・。
何故??
不思議でなりません。
俺は自分が生きているうちに、W杯で日本代表が優勝できると思っているし、日本人(男子ゴルフ)がメジャー制覇出来ると本気で信じています。夢ではありません。
それを本気で目指している選手達は‘だって日本だもん’という言い訳は決して言いません。日本人だからこそ、ここで勝負する!というものを持っています。他と同じである必要はないのです。
完璧に確立した自我をもって、冷静な判断を元にした目標を追っている姿・・・土俵は違えど、大いに参考になるものです。素晴らしい!感動するわけですね。
こんなに長いブログ・・・
最後まで読んでくれて、ありがとう♪
あ、そうそう。
広島カープもそろそろ優勝するって、超本気で思っていますよ♪
( ´^ิー^ิ`)ニヤァリ
政治的なことは、ブログに書かないのがポリシーです(`・ω・´)ゞ
それはさておき愛国心です。
とかく思想や軍事的な香りのする言葉ですが、これを持つことはごく自然なことだと思っています。この愛国心を間違った方向に向けてしまった時には大変ですが、愛国心自体は何の問題もありません。
むしろどういう形にせよ、絶対に持つべきものだと思っています。
個人的感覚で言えば、日本人は一時期の歴史的経験により、この愛国心を持つことに対して臆病になり、ついにはそれを止めてしまった感があります。それが次の世代にその止めたことだけが伝わり、今は何となく愛国心のない人が多いという・・・要は最悪の状況なのです。
なぜ、この話題を取り上げたかというと、理由は2つ。
1つはずーっと気になっていたことでもあるのですが、日本人の日本(人)に対する自らの評価の低さ、しいて言えば一部の日本人の海外に対する卑屈とも言える感覚に対する嫌悪感を感じる、そんな機会が、最近何度かあったからです。
海外(のもの)は素晴らしい!
それに対して、日本(のもの)はそれに及ばない。
遠からず、この感覚です。
手っ取り早いところで言えば、文化の話。
世界(特に欧米)の町並みは素晴らしい。建築や絵画は、到底日本のそれらが適うものではない・・・そんな話をよく聞きます。
断言しますが、これは間違い。
俺は曲がりなりにも大学院まで建築を学び、曲がりなりにも学芸員資格のため美術を学びました。大勢の人に学び経験し、自らの研究を進め、時として留学生らと交流を深めるなかで、改めて日本の文化の素晴らしさを何度も痛感しました。
何より驚くのは、その海外での評価の高さです。極論ですが、欧米人のそれ以外に対するある種の差別的感覚は、未だに拭えません。欧米にルーツがないものの評価は、まず一段下がったところから始まるということです。それで、この評価の高さ・・・驚きです。
客観的に見て、当の日本人自身の自己評価が低いことと比べ、奇異な感じすらします。逆のパターンはよく見られるのですが、これは日本ぐらいのものですね。
これはこれで日本人独特の感覚であり、奥ゆかしいと表現すれば美徳にもなるのかもしれません。ただし、行き過ぎればただの卑屈です。奥ゆかしさの中には、確固とした自我がないと成立しないもので、まさにここがポイント。
自我(セルフ・アイデンティティ)・・・つまり自分の立ち位置が確立しない状況では、他の評価は良くも悪くもできないものなのです。同じような人たちだけの世界に閉じこもるならともかく、外側の世界ではそれは通用しません。
自分のこともままならない人からの評価がフワフワしているのと同じで、自分の国のことを適切に評価できていない人の主張は、決して重くは評価されません。ひと昔前の、アメリカだったら何でも素晴らしい!みたいな感覚と同じで、相手(国)からすればそれこそ格下、決して対等には見れません。
大切なのは、これを認識した上で、ようやく他(国)との比較・対話ができるということ。これが大事な共通言語(感覚)。自分を知り、相手を知ることで初めて対等な関係なのです。
日本ではこうなんだけど、あなたの国ではそうなんだ・・・それは凄い(or違う)。
日本ではこう考えるけど、あなたの国ではそう考えるんですね。
当然、日本が劣る様に見えることも多々あるかもしれません。しかし大抵は・・・いや、そのほとんど全てに要因があるはずで、それを理解しさえすれば実際に‘劣る’というものはまず無いと断言できます。
少なくとも、日本はそんな扱いを受ける国ではありません。他に誇れる歴史を持ち、それ相当の文化を持つ国なのです。ここは誇りに思うべき部分。
その先が、初めて個人的感覚。これは全く否定できません。重要なのは、自分の立ち位置をはっきりさせておくということで、何が何でも日本を素晴らしいと思え!ということではありません。それこそ誤解。
とは言え、外国の雰囲気が好き(or嫌い)。
とは言え、外国の思想が好き(or嫌い)。
これで、ようやく説得力がありますね。
逆にこういう考えに立てば、一見日本より劣る様に見える国があったとしても、その要因までをもしっかりと比較できていれば、単純には‘劣る’評価が出来なくなるはずです。その国にはその国の理由が必ずあるのですから。
これも、国としての自我をしっかりと持ち得ているからこその思考・・・大変、要なこと。自我を持ち得ないで、手放しで欧州を礼讃するような人が、例えば発展途上国などを軽んずる傾向があるのはこのためです。
何かアツくなっちゃいましたね~。
ま、ここは俺のお部屋(ブログ)ってことでご勘弁♪
溜まってたもの吐き出して、勝手にスッキリしちゃいましたよ。
『出すって、大切~♪』・・・なんかのCMみたいです。
( ´_ゝ`)ゞナンカ、ワルイネ
ここまでの話、日本を自分(個人)にあてはめても全く同じこと。他人と対等に接するためには、まずは自分の評価をきちんと自分ですること!=自我の確立・・・つまりは青年期にはクリアすべきことなんです。
愛国心(=自分の国に対する自分なりの評価)が持てない・・・これは国民として青年期へ到達できていない、つまりはモラトリアム。自我の確立へ向けてもがいているならともかく、それを放棄しているようなら、なんとも幼稚な停滞に過ぎません。
残念・・・日本には誇れるものが溢れているというのに・・・。
この3連休に箱根-日光と訪れ、日本の自然や文化の美しさを改めて再認識。
やはり日本は美しい。
そう思ったのが2つ目の理由。
この風景や建物・・・そして文化。
これらを目の前にしても、まだ卑屈になる日本人がいるのだろうか?
・・・そう思ったのです。
( ´_ゝ`)ゞイヤイヤ、カンドウシタヨ
この期に及んで余談です。
先のサッカーのW杯で‘日本が勝てるわけないよ!’という意見はよく聞くものでした。自分なりの考えに基づいてのことなら否定しませんが、中には‘だって日本だもん’というものが多く、なんとも残念。
ゴルフでもそう。日本人がメジャーを狙う!なんて無理無理
・・・‘だって日本人だもん’・・・。
何故??
不思議でなりません。
俺は自分が生きているうちに、W杯で日本代表が優勝できると思っているし、日本人(男子ゴルフ)がメジャー制覇出来ると本気で信じています。夢ではありません。
それを本気で目指している選手達は‘だって日本だもん’という言い訳は決して言いません。日本人だからこそ、ここで勝負する!というものを持っています。他と同じである必要はないのです。
完璧に確立した自我をもって、冷静な判断を元にした目標を追っている姿・・・土俵は違えど、大いに参考になるものです。素晴らしい!感動するわけですね。
こんなに長いブログ・・・
最後まで読んでくれて、ありがとう♪
あ、そうそう。
広島カープもそろそろ優勝するって、超本気で思っていますよ♪
( ´^ิー^ิ`)ニヤァリ