先月、星海ケンさんの1dayワークショップがあり、参加しました。

 

 

 

その日はレトリーバルのセッションが2本立て。

午後の部は、ある事件で亡くなられた方(複数名)をレトリーバルするセッションでした。

 

報道された事件なので、現場は何度かテレビの画面越しに見たことがあります。

とにかくショッキングなできごとには間違いない。

ワークショップの日、私自身の心がすこぶる頑丈な感じは全くしなくて、

どうだろう?

いけるんかなぁ?

感情を引っ張られないかなぁ? 等々、

直前までいろいろ思考が浮かびましたが、

こういう時こそヘルパーにお願いすればいいじゃん!と、

素直に委ねようと思いました。

そう思ったら一気に楽な心持ちでレトリーバルに向かうことができたんですね。

 

おかげで、この日こそ 適切にレトリーバルできたのかもしれない。

記憶が残っているものから書いていくと、

観察者なんですが感情は終始シート越しに見ているような感覚で、全体を通して感情に引っ張られることはなかったです。

これはこれでわたしにとって珍しい体験。

 

まず、こちらに向かってくる男性複数のお顔が次々と現れてくる。

4-5名の顔が続いたかと思ったら、しばらくして今度は女性の顔が大きくボン!と現われる。

女性はすぐ気を失ったような感じ。目は細め。

 

 

感情や思考は「こわい」とか「なんで?」とか、文字や言葉で現われる。

喉の渇き あり。

 

能面のような男性の顔。

こわばった手で何かしているが、足にも液体がかかる。

震え、かたくな、そんな印象。

 

女性、40代。

お名前を伺ったら「・・・セ」と音が返ってくる。

(大きくお顔が現われた時にその方に名前をお聞きしたのか 記憶が曖昧・・・)

 

 

レトリーバルの後半で、

人数が多いしどうしよう?とよぎるが、この時 ヘルパーに全て委ねようと考えていたことを思い出し、観察者を維持。

しばらくして自分の意識が深いところに行きそうになったが、ふと気づくと目の前に森が広がっていて、手を合わせている僧侶の姿が現われる(横から見ている)。

僧侶、托鉢笠(たくはつがさ)をかぶっていてお顔は見れず。

深い森、そこは日本の森だと思われる。

そこに立つ僧侶と複数の人の姿あり。

彼らは森林浴、散策したり深呼吸している様子。

それを見届けていたら、ちょうど誘導の音に入っている鐘の音が3回鳴って、僧侶とあまりにもぴったりで驚いたのと同時に、森の空気がシャキーン!と一層澄んだ状態を知覚。

 

この時、ようやく自分の体感が出てきた感じあり。

森と托鉢笠の僧侶はとても印象深い。。。。

 

誘導が終わり、目を開けると両目からは涙が流れていました。

今回のレトリーバルは心身ともに耐えられるかどうか不安でしたが、そのおかげで非物質世界の存在への”委ねかた”を学びました。

救出活動をしていると目の前にいる人達に対してどうしてあげたらいい?と、ついつい思考で考えてしまうんですが、それとは違っていて観察者に徹していられました。

そこは物質世界での意識や考え方が結構影響するように思うんです、自分ができることをついつい探しがちな人は非物質世界での救出活動もそうしがちなんじゃないかとか。

実際わたしもそのタイプだと思うけどこれだけの人数だと自分ではどうしようもない。しかも弱まっていたし(笑)、ほぼ無力。

どの世界も、無力な自分を認めて助けを借りることって大切なんですね。

 

以前のレトリーバルでも知らないうちにオスプレイのようなヘリが飛んできて、多くの人に乗り込んでもらった経緯がありました。

それも私が呼んだわけではなく、どうしたらいいんだ?って考えていたら上空に現われたんですね。

あれもこれもがヘルパーとの共同作業だったんだなぁとあらためて実感。

 

 

数日前に自宅で、ある知合いの方の救出活動を試みていたら やや遠くに広い場所が見えてそこには大勢の人たちが見えました。

おそらくは同じ地域から来ている人達だと思います。

おそらくはあの関係かなとか思いました。

とにかくレトリーバルが追い付かないぐらいの人数でした。

レトリーバルが追い付かないほどの数の人間が去っていく今の地球って、どういうことなんだろう?と、あらためて考えてしまいます。

 

 

 

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