イギリスでお世話になっていた友人の家で過ごして2日めに、

 

友人の娘さん、Lunaが

 

「わたしとプライベートな話をしたい」と言ってきたので、

 

彼女の部屋で1時間ちょっと、2人きりでお話を聞きました。

 

Lunaは昔から自己分析をわりとよくやっているみたいで、

 

心の領域や自分の性格・感情の成り立ちに興味があるお嬢さんです。

 

だからカウンセリングや心理の話を聞くのも結構好きみたい。

 

心の優しい、とても賢い女性です。

 

その日のトピックは、今 彼女の心を占めているボーイフレンドのことでした。

 

そりゃそうよね、今ときめかなくていつときめくのよ!?って、

 

もし私にも娘がいたら 言いたいぐらい。

 

 

しかしLunaの話を聞いていくと、そう簡単にはうまくいかないよね~っていうようなLuna自身の客観的な視点もあるし、同時に相手や状況に感情移入している部分もちらほら見えます。

 

だからこそ悩んだり 考えちゃうよね、

 

人はそんな簡単な思考でいられないこともある、それだって大切な真実。

 

私はただ話を聞き、時々質問して、Lunaが話したいことや話の展開のままに委ねていました。

 

最初ボーイフレンドのことから始まったLunaの話は、そのうち彼女自身の中にある感情や思いみたいなことへと広がっていきます。

 

それは彼女にとってはあまり好ましくない、ネガティブな感情で、話しながら伏し目がちになっていきました。

 

自分の中にあるネガティブな感情を言葉にするのはLunaにしたら勇気が要ったことだったと思います。

 

まだ20代そこそこでカウンセリング経験だってないのに、でも彼女は素直にサレンダーしていました。

 

私は、

「ネガティブな感情が湧いてくるのは悪いことじゃない。それに でこぼこ(不完全)でいいんじゃないのかな」

って言いました。

 

でこぼこは、良い面とよくない面、ポジティブとネガティブといった表現の比喩ですが、

「私だってそうだし、大人に見える誰かさんだって完璧じゃない、でこぼこ。でも人間って不完全だからこそ美しいと思うんだよね」と。

 

 

 

「人はでこぼこ(不完全)だから美しい」

 

「でこぼこ(不完全)でいいんだ」

 

これらは交流分析の禁止令を学んだ時に講師の先生から聞いた言葉です。

 

言葉は都度変わるものの 本質は一緒。

 

”ジョン・マクニール博士がよく仰ってる言葉です”と聞いて、

 

ほんとにその通りだと思い、時々これらの言葉を思い出してました。

 

Lunaの話を聞いた時に、その言葉が思わず出たわけですが、

 

彼女の目は私のほうをまっすぐ向いてこの話を聞いていました。

 

 

その話からLuna なりに ”不完全であることでの完全性”と捉え、

 

" Inperfect perfection "という言葉を出してきたんです。

 

もしかして、こういうことでもある?と。

 

そうね、そうかもしれない♬

 

ステキな言葉だね、覚えとこう!

 

ありがとね、と言いながら、

 

逆に私の備忘録に追加させていただきました。

 

 

「いろいろ話したら、すっごく気持ちが楽になった💛ありがとう!」

 

Lunaは明るい表情とまだあどけない笑顔を見せてくれて、

 

よかった!と思いました。

 

言葉にするって大事です、

 

それは何歳になっても、誰であっても。

 

 

私達は不完全(でこぼこ)です。完全な人はおそらく一人もいないでしょう。

 

だからこそ美しいんです。

 

そんな 不完全(でこぼこ)であることの美しさを多くの人に感じてもらいたいです。

 

自分にも、相手にも。

 

でこぼこ、上等です。

 

そしてLUNAのように、自分の中に湧いたネガティブな感情や感覚があるのはごく自然なことですが

 

もしそれを感じる自分が嫌いとか改善したいなと思うのであれば、

 

ネガティブな感情や感覚を否定しないでください。

 

否定は抑圧や歪みを生じます。

 

それより、素直な自分の感情や感覚をまずは受けとめてみませんか?

 

 

 

セラピールーム【CoCCOLE(コッコレ)】

 ERI

coccole.erico@gmail.com

 

昨年8月に叔父が亡くなって、一周忌の法要が7月下旬にありました。

 

私が小さい頃、叔父は私の好きな親戚の1人で、

優しくて穏やかな表情、声、話し方、全部好きでした。

 

叔父と一緒の時に親子と間違われたこともあって、それはわたし的にはちょっとした嬉しさがあったわけです。

 

そんな叔父とは、彼の人生の後半に 親族間での意見の相違がきっかけでお会いしづらくなり、訃報を知った時は本当に驚きと動揺でした。

 

親族が久々に通夜/葬儀で再会できたのは ある意味叔父のおかげとも言えますが、

それにしても、

生前に会っていればよかった・・・・・!と、思うのがまさに ”後悔先に立たず” で。

 

 

今年の一周忌の法事には参列したものの予定があって早々に失礼させてもらったので、先日あらためて自宅にお線香を上げに伺いました。

 

自宅に入ってすぐ、叔父の写真が飾られた仏壇にお線香を上げました。

 

今日も叔父の写真の横にはデミタスカップに入ったコーヒーがあって、

 

それは 毎朝叔母が淹れているものです。

 

 

叔母と従妹と3人でお茶をしながらしばらく世間話をしたあと、

 

そろそろ失礼させていただこうと思い、

 

再度お線香を上げ、叔父の写真としばし向き合いました。

 

前から見ている写真ですが、なんとなく表情が明るくなってるような気が。

 

もしかしたら あちらの世界にだいぶなじんでるのかもしれないし、

 

ひょっとすると、

 

私の父や他の兄弟と近くにいられて穏やかに過ごしているのかもしれない。

 

 

写真と向き合いながら、私が

 

「長いようであっという間の一年でしたね・・・」

 

ってつぶやくように話しかけてみたら、

 

”もう時間の概念はないんだよ・・・”

 

って、受けとったような。

 

近くに寄ってきた叔母が 私の言葉を聞いて、

 

「そうね。亡くなるまでも容体が悪化してからあっという間だったよ・・・」

 

と、話してくれました。

 

その時 叔母に一瞬 、一年前に感じた心細げな感じがありましたが、

 

しばらくするとまた今の叔母の様子になっていました。

 

終わりに 心の中で、

 

”たまには私のところにも現われてきてくださいね”

 

とお願いしてみました。

 

”あちらの世界の お話したいことがあればいつでもきてくださいよ、

 

待ってますから。

 

個人的にもすごく参考になります!”

 

と、ご挨拶(お願い?)して、従妹と家を出ました。

 

 

 

 

【セラピールームCoCCOLE(コッコレ)】

 ERI

 coccole.erico@gmail.com

 

イベントのポータルサイト(っていうのかな?)の1つにPeatixというサイトがありますよね。

 

数年前に大きな瞑想会があって、Peatixに登録しないと申し込みができなかったのでサインナップしたのが始まりでしたが、

 

その後、所属するカウンセリング協会のお話会やグリーフケアの講演等で申し込む機会が増えていきました。

 

当初Peatixで情報発信されているイベントはほぼほぼ自分に関係ないようなことが多いかなという印象だったので、

 

瞑想会イベント一択で、定期的に受けとっていたメールもあまり気にすることなくポイポイ捨てていたんですが、

 

このところは自分の興味があるような内容もぽつぽつ出てきてて、

 

PeatixからのDMをいったんは気に留めて見るようになりました。

 

そうしたら3日前に、ですよ。

 

10月開催オンラインセミナーの案内メールが届いて、

 

タイトルが、

 

『臨床に活かすスピリチュアルケア』というもの。

 

 

これ!これこれ!!!

 

あこれていた、この世界!

 

私はヒプノセラピーを心理療法としてやっています。

 

学んでいた当時、世間からはスピリチュアルなイメージのほうが大きかったんじゃないかと思います(今もそうかな?)。

 

前世療法というアプローチがあるのでその影響もあります。

 

講師の先生は心理療法としての意識と意図をもって教えてくださってました。

 

とはいえ、

 

セラピーを進める中でスピリチュアリティ、あるよね?思ってました。

 

今勉強中のカウンセリングも同様です。

 

とりわけグリーフケアや、死生観を考える時にその要素を強く感じます。

 

とりあえず私の中で心理とスピリチュアリティは別枠、別棚に置いてはいますが時には重なるぐらい近くなることもあって、


臨床においてどのようにスピリチュアルケアが活かされているのか?なんていう情報やセミナーはとても嬉しいし、その融合の中にいられることはあこがれでした♬

 

同じようなことを感じてらっしゃる方達もいらっしゃるんじゃないかと思います。

 

 

さて、このオンラインセミナーですが、進行される方、出演される方々は臨床心理士や医学部の先生方ばかりです。

 

先生方がどのようにスピリチュアルケアの考え方に行きつかれたのか、

 

その時のスピリチュアルな要素や定義は何だろうか、

 

実際の事例、どのようにアプローチされているのか、

 

お話を聞いてみたいなと思いました。

 

さっそく、本も注文しましたよビックリマーク

 

このオンラインセミナー、夕方から開演で参加費2000円。

 

ご興味のある方は是非、Peatixをのぞいてみてください。

 

 

※セミナー関係者でもありません、ただただ教えたい人でしたドキドキ

 

 

【セラピールームCoCCOLE(コッコレ)】

 ERI

 coccole.erico@gmail.com

 

公開ミディアムシップの翌日、

 

オーディエンスの方達のコメントが次々と、

 

進行役をしていたみなこさんのところに届いてます。

 

グループLINEでシェアしてもらっているんですが、

 

ありがたく読ませていただいてます。

 

「ありがとう」とか「感謝」とか、その言葉でしか表せないのがもどかしいぐらい、愛のエネルギーを味わってます。

 

 

その中に、今回わたしがコネクトしたスピリットさんのお友達の方からコメントをいただきました。

 

 

そのコメントを読ませてもらって、

 

生前からよくその方を理解している彼女が、

 

彼ならそういうことを考えるだろうなという視点でメッセージを解釈し、その感想を素直に書いてくださっていました。

 

その視点が私にとっては大きな気づきで、

 

ミディアムシップが終わってからも気づきの扉はあとから、

 

こうやって開かれていくんだなぁと、思いました。

 

あなたの愛はちゃんと届いてますね。

 

こんなに素晴らしい理解者がいてくれてる、

 

そんなスピリットさんがまたステキだなと思います。


 

感謝のエネルギーは愛のエネルギーと似てます。

 

 

【セラピールームCoCCOLE(コッコレ)】

 ERI
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先日は公開ミディアムシップにミディアム側として参加させていただきました。

 

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました。

 

※ご参考までに、公開ミディアムシップについて。

 過去のブログです↓

 

 

初めてミディアムとして参加させていただいて、公開ミディアムシップというものはオーディエンスの方達のエネルギーをこんなにいただいてるんだなぁ💚と感じました。

 

この懐かしい空気感を探っていくと、先月のイギリスでの景色が浮かんできます。

 

愛そのもののエネルギーでした。

 

 

そして、私がシェアしたスピリットさんからの情報に手を挙げていただいた方に、心から感謝いたします。

 

zoomとはいえ、80名が参加していらっしゃる中で手を挙げること自体、とても勇気が要ることだと思います。

 

(実際に私も経験したことがあります。その時は 別の方だったという結果でしたが)

 

このスピリットさんに思いを馳せてくださっている方は必ずここにいらっしゃると信じてました。

 

ありがとうございました。

 

ただ、わたし自身が初めての公開ミディアムシップということでの緊張があり、

 

ゆっくりお伝えできたかどうかと反省してます。

 

手を挙げていただいた方がスピリットさんに想いを馳せる時間にも配慮があったかどうか・・・。

 

今回至らなかった点はこれからの課題としていつも心に置いとこうと思います。

 

心から、ありがとうございました。

 

 

 

スピリットワールドのことをちょこっと書かせていただくと・・・、

 

あちらの世界(霊界/スピリットワールド)にいらっしゃる存在は、

 

今を生きるわたし達に対して、

 

応援や感謝、こちらの世界では(生前は)気づかなかったこと、そして愛を送ってくださいます。

 

また、地上のわたし達に注意喚起をしてくださることもあるようです。

 

 

でも、わたし達が迷った時に「こっちにしなさい」と言ってきたり、

 

「もっと〇〇しなさい」「~するな」等と指示することはありません。

 

なぜなら、あちらの世界は

 

わたし達には自分で選択する力があることを知っていて、

 

また、自己責任という考え方(フィロソフィー)があるからです。

 

(自己責任とは、誰かのせいにすることなく自分ごととして感じて 引き受け 行動する、ということでしょうか)

 

だからといって、あちらの世界で ただ見てるだけというわけではない。

 

愛をもってサポートしてくれています。

 

損得勘定のない、ただただ純粋な愛のエネルギーです。

 

わたし達の人生の その時々での選択や行動を見守りつつ、サポートしてくれているということなのかなと、個人的にはそんなふうに理解しています。

 

 

そして今回 私がスピリットさんとコネクトする時、あちらの世界からすばらしいサポートがありました。

 

以前コネクトしたことがある女性が、笑顔で お気に入りの服装で目の前に現われてくださいました。

 

でも彼女はお話するわけでもなく、終始 笑顔。

 

その彼女のエネルギーがふと薄くなった時、別のスピリットさんとのコネクトが始まったのです。

 

いつもいつも ありがとう💛

 

それにしても私が朝から緊張してるのお見通し、だったんだな 。。。!ラブ

 


 

愛をこめて

 

【セラピールームCoCCOLE(コッコレ)】

 ERI 

 coccole.erico@gmail.com

 

少し前、友人が

 

「最近、亡くなった父とそっくりな人とすれ違うんだよ」と言ってた。

 

1度だけじゃない、何回か続いたと。

 

雰囲気がすご~く似てたらしい。

 

別の日には 誰もタバコを吸っていない場所でタバコの匂いがしたとも。

 

お父さん、来てくれてるね!

 

見えないはずなのに似た誰かとすれ違わせたり、

 

匂いの記憶を漂わせるのも、

 

やはり霊界の采配なんだろうと思ってしまう。

 

 

そして先日 わたしはエレベーターを待ってて、

 

そのエレベーターの扉が開いた時、母親そっくりな年配の女性が現われたのだ。

 

 

服装の趣味も似ていて赤いカットソーシャツを着てらっしゃる。

 

扉がすぐ閉まらないようにと扉を手で押さえ

 

その女性が降りるのを見送っていたら、

 

「あら、どうもね」と言った その声や話し方までそっくり!!

 

ずぅっと後ろ姿を見届けてしまった・・・。

 

驚きました!!

 

こういうことってやっぱりあるんだ!!!

 

 

イギリスのAFCでは父がちょいちょい現われて、

 

母方のおじいちゃんも数回きてくれた。

 

でも、去年あちらに戻った母は思ったより登場機会が少なくて、

 

それは日本に帰ってから、そういえば!と気づいた感じ。

 

ばあば(母のこと)、現われるの少なかったかもって。

 

まぁ、いいんだけど・・・って 片づけていた。

 

そしたら、エレベーター前でのできごとがあった。

 

いるわよ、ちゃんとね!って示してくれたのかな?

 

 

”似た人とすれ違う作戦” は霊界の采配としてタイミング合わせはすごいスペック。

 

でも、比べることでもないかな。

 

その時その時の、どちらも嬉しさ一杯。

 

 

 

【セラピールームCoCCOLE(コッコレ)】

 ERI

”難しい相手”の概念はいろいろあるし

 

皆さんが思う 難しい相手と完全一致するわけではないですが、

 

自分が感じた ”難しい相手”との経験談を書いてます。

 

********************************

 

息子が保育園時代から知ってて今も仲がいいママ友がいます。

 

彼女はコミュニケーション能力も高いし、

 

友達も多く、誰とでも気さくに話せるし、

 

話題豊富でユーモアたっぷり、 いわゆる人気者キャラです。

 

もちろん!私も彼女のことは大好きで、

 

昔からお茶やご飯、映画観に行ったり、よく一緒に時間を過ごしてます。

 

ところが、一つだけ難儀なところがあって 笑

 

ストレス状態になることもこれまでしばしばありました。

 

で、その感覚は彼女にだけ感じてて。

 

好きなの?嫌いなの?って聞かれたら、

 

もちろん好き~!なわけで💛

 

 

だから、自分がなぜストレス状態になりがちなのかがわからず、

 

深く考えもせず、その都度 ”自分が悪いんだろうな”と解釈して

 

彼女に謝ったり、感謝したり、でした。

 

 

彼女とは予定合わせのテンポ(っていうのかな?)が、合わないんです。

 

働き方事情があると思いますが、スムーズに決まらないんですね。

 

例えば、〇〇に行こう、行きたい!となった時に、

 

それはLINEでのやりとりによく表われるんですが、

 

私が、

 

「いつだと大丈夫?あたしは〇日と〇日なら午後空いてるよ~」

 

とLINEを送ったとします。

 

わたしとしては 日程や時間をある程度決めたい、

 

他の予定とバッティングしないよう さくさくっと決めてしまいたい。

 

ところが、彼女は仕事のシフトや働く環境が私と違うこともあり

 

すぐには返事がない、曖昧なまま日にちが過ぎて 連絡が来る。

 

それでも日程がスムーズに決まれば結果オーライですが、

 

決まらず曖昧なままだと、こっちが気にかけてしまう。

 

そんなやりとりをやっていく中で、

 

こっちからは日程の打診をすぐにしないこともありました、

 

彼女の考え方を察して。

 

そうすると今度は私が、自分の予定を入れづらくなってしまうんですね。笑

 

頭の片隅で彼女と約束(まだ仮約束か?)してるしと思うと、

 

なんとなく他の予定が入れづらいという 動きづらさ・・・。

 

 

大好きなのに、

 

なぜ予定決めではやきもき、もやもやするんだ・・・??

 

というのを感じてました。

 

交流分析を知るまでは、です。

 

(これは愚痴の展開ではないのです・・・ ♬)

 

 

そのうち 交流分析を勉強していく中で 気づいたことがあって、

 

自己分析でそのやりとりを思い返してみると、

 

私は彼女との一連のやりとりで

 

交流分析のエゴグラムでいうところの、

 

”適応する子ども(AC)” になってました。

 

彼女との予定決めのやりとりがスムーズにいかないと、

 

どう動いていいかわからず固まって、最後は相手の出方に委ねつつもやきもきしてました。

 

 

”今ここ”での心持ちは自由な感じ(NC)はしないし、

 

優しい気持ち(NP)や厳しい視点(CP)でもなさそう。

 

残るは適応しようとする立場か(AC)、客観的姿勢のアダルト(A)ですが、

 

とうてい客観的な考えに基づいて考えていない。

 

そして何に適応しようとしているか?というと、

 

彼女の流儀に適応しようとしています。

 

それが、自分にとってはきついんでした。

 

 

”行けたら行こうね”ぐらいな口約束だと思っていいの?

 

本当に行く気があるのかい?

 

どちらの問いかけも失礼な気がするぞ・・・! 笑

 

そんな遠慮もあったんでしょうね。

 

 

そこで私は彼女に、アダルト(A)の接し方で

 

「2人で予定を決める時どうしていいかわかないんだよね」

 

と、もやもや感を正直に伝えました。

 

私なりのスタイル、そしてもちろん彼女にも進め方がある。

 

これまでのやりとりだとなかなか私の中では、

 

他の予定も含め 調整する時のやりづらさを伝えました。

 

それは、一緒に行けるなら行きたい=予定をなんとか成立させたいというところからくるもやもやだったり、ストレスなわけで、なんとかしたいという気持ちには間違いないわけです。

 

そして彼女も私の言いたいことを理解してくれました。

 

最終的にはお互い ”行けたら行こうね"ぐらいな考え方になったようです。

 

その分、会う機会は減りました。

 

ただ音信不通になったわけではないし、

 

何人かと会うような機会に会ってるし、2人でお茶することもあります。

 

 

こういうシチュエーションでは、自分が何に対してネガティブな反応をしているのか?を知ることて大切なんだなと思いました。

 

そこには特定のパターンがあるかもしれない。

 

そして、どんな感情が沸き上がってくるのか?

 

どういう自我状態になっているのか?を探っていきます。

 

昔の彼女と私のやりとりは、

 

最終的に私が罪悪感を感じて終わるやりとりでしたが、

 

これは相手のせいではなく、

 

自分で自分をその状態に追い込んでしまっていたんですね。

 

さらには自分にとってよくない感覚を積み重ねてました。

 

 

さてタイトルの

 

”難しい相手って本当に難しいのか?”ですが、

 

私は難しい相手全てが 難しい人とは言いきれないかなと思います。

 

難しく捉えているのは誰なのか?

 

どういうところを難しいと感じているのか?

 

どんな感情が湧くのか?

 

あらためて考えてみるのも いいかもしれません。

 

ストレス状態から回避したいなら 自分を知ることも大切です。

 

 

【セラピールームCoCCOLE(コッコレ)】

 ERI

 

映画を観てきた。

 

テレビで宣伝を観ただけで、

 

詳しい内容も知らなかったけれどずっと頭に残ってて、

 

イギリスから帰ってきて もし上映されていたら観たい!と強く思っていた。

 

そしたら新宿武蔵野館で8月も上映中とのこと、それで。

 

 

この作品のことが頭に残っていたのは、

 

気になる女優さんが出ているのが大きかったと思う、その時は。

 

実際に観て、

 

実際には演技がうまいだの さすがだの、

 

そういう次元ではないなと思った。

 

実話に基づいたこの作品は、場面の四隅から危うさと諦めと現実が、

 

じわじわと観ている側に迫ってくるようなシーンがあちこちにある。

 

もちろん 希望もあった。

 

希望は柔らかく軽やかに包み込んでくれるが、

 

危うさや諦めは突然 畳みかけるようにやってきて、

 

ささっと現実に戻される感じ。

 

 

ここまでの絶望感や危うさの環境、経験が 私にはない。

 

だから彼女の気持ちや行動に全て共感できてたわけではない(と思う)。

 

だからといって この作品を、

 

他人事のように観ていたわけでもない。

 

 

悲劇は事実となってしまったけれど、

 

この作品を観て感じたのは、

 

この世に夢を持っちゃいけない人なんていない、

 

それを忘れたくないなと。

 

自分も、そして

 

自分が知っている誰かにも忘れてほしくないなと。

 

せめてそれを心に留めないと、

 

なんともやるせない気持ちになるから。

 

 

 

印象深いシーンがあって。

 

電線にとまる鳥が、体が不安定に揺れて、

 

飛びそうで飛ばない、

 

飛べそうで飛べない、

 

そんな映像。

 

羽をばたつかせながらも足が電線から離れないその様子は、

 

怖いのかな?とか、

 

飛ぶのを諦めているようにも見えて。

 

その様子を見ている彼女の表情が切なかった。

 

 

本当は、思いっきり 羽ばたきたかったに違いないのに。

 

 

【セラピールームCoCCOLE(コッコレ)】
 ERI

先日、カウンセリング講座を受けている研究所主催で、

 

上級講座を受講あるいは現カウンセラーの人達向けに、

 

”ある講座”の開催に関するお話会がありました。

 

以前ブログでも紹介した人格適応論、

 

『状況対応コミュニケーション』の講座です。

 

 

 

 

この講座、本当に素晴らしい内容なんですが、

 

今回のお話会の内容は講座開催に関する質疑応答、

 

開催経験者のお話、

 

そして講師の先生の経験談や講座に関する解説等々で、

 

参加者の中には開催経験がある人達や、

 

今開催を申請中という方もいらっしゃるけど、

 

多くの人は講座開催の未経験者でした。

 

開催にあたっての集客やチラシづくり、告知方法など、

 

どうやってやるの?みたいなところでは、

 

参加者の興味の度合いはかなり高かったと思います。

 

時々自分の中でも想像したり、

 

ほんとにできるのかなぁ~?と感じた人もいたはずです。

 

私だって未経験者で、開催に向けてのマニュアルのない中でどう持っていけばいいのか? 計画の立て方、具体的な方法がわからない。

 

この時のzoom画面を見たら、多くの参加者がやや難しげな複雑な表情をしていたかもしれません。

 

 

途中、講師の先生がこう言いました。

 

「皆さん、頭の中でハードルを上げてませんか?

 

 

再び こう言いました。

 

「頭の中でハードルを上げてませんか?

それって、自分で自分を不安にさせることになります

 

 

あ、そうだった!

 

よくあるパターン、よくやってるパターン。

 

これ、いろんな場面にあてはまるんですが、

 

わたし達は自分でハードルを上げて、

 

その上げたハードルを見て自分のことを不安にさせています。

 

状況のせいではなく、

 

誰かのせいでもなく、

 

自分がその世界をつくり、それを現実と捉えて、

 

緊張や不安で追い込んでいる・・・。

 

 

怖がりの私は、昔そうやって自分が想像した展開に気持ちを持ってかれてました。

 

その展開が想像した通りの(よくないほうの)顛末だと、

 

ほらね、だからやっぱり私は〇〇なんだ・・・と、

 

馴染みのある不快な感情・感覚に浸ってました。

 

”だから私は重要じゃないんだ”

 

”だから私は愛されないんだ”

 

”だから私は私であってはいけないんだ”

 

そうやって、かわいそうな自分ができていきます・・・。

 

 

 

 

ここで、交流分析でいうA( アダルト)による現実吟味が必要なんです。

 

今ここにおいては、まだなーんにも起きていない。

 

ただ不安に浸っていても何の意味も、収穫もない。

 

そうだった、そうだった。

 

心を学んでいても、

 

これだけ自分を理解できるようになったという自覚があっても、

 

ふとした瞬間に不安や怖れの感覚は入り込んできます。

 

 

ただ、以前と違うとしたら、

 

A(アダルト)の自分に気づけるようになったこと。

 

そうすると切替えが早くなり 現実吟味の思考が機能してきます。

 

今回 講師の先生の言葉によって、視野が広がった感じがしました。

 

具体的なアイデアが浮かんだわけではないですよ。

 

でも、心を一杯にしていたもやもやな気持ちに引っ張られなかった、諦めなかった。

 

わたしの他にも 自分の中の変化を感じられた人はいたと思います。

 

現実に戻してくれた、魔法の言葉だったかもしれません。

 

こういった場面って日常によくありがち。

 

実際、まだ起こっていないことへの心配や不安を並べて周囲をざわつかせる人もいます。

 

その人は感情の成り立ちや心のからくりにまだ気づいていないのかもしれません。

 

 

 

わたし達は良くも悪くも 自分の見たい世界をつくり、その世界の中に生きています。

 

あなたはどんな世界で自分の人生を送りたいですか?

 

 

 

 

【セラピールーム CoCCOLE(コッコレ)】

 ERI

 

 

「イギリスは、よく電車が止まるんだよね」

 

イギリスに行く前、イーストボーン在住の友人がそう言ってた。

 

へぇ・・・・!

 

日本と同じような感覚で行ったら違うんだな。

 

一応、そういうつもりでイギリスに向かった。

 

でもね、でもさ、

 

自分が乗る電車が突然止まるとは 正直思ってなかった。笑

 

 

日本に帰る前日、ヒースロー空港近くのホテルに向かう私は、

 

お世話になった友人とヴィクトリアステーション駅で別れて1人、

 

ヒースロー空港駅を目指して

 

District Line → Piccadilly Lineに乗り換えた。

 

もうあといくつかの駅でヒースロー空港に到着という矢先、

 

電車が止まったまま動かないという事態が起きた。

 

信号のシステム故障らしい。

 

車内放送が鳴ってどんどん人が降りていく・・・

 

向かい側にいる白人の男性が

 

「今何て?」って聞いてくるので、

 

「たぶん乗客全員ここで降りなきゃいけないみたい」だと伝えた。

 

そして彼も、私も、全員が電車を降りる。

 

後から来る電車から次々乗客が降ろされ、

 

一時ホームはわんさか混んでいたが、やがて人が減っていく。

 

おそらく駅からいったん出てバスの手段を考えたんだろう。

 

えぇ、、、、!どうしよう!?

 

 

ここで日本の感覚が浮上して、

 

少ししたら運転再開するんじゃないかなぁ?と思い、

 

30分ぐらいホームで粘ってみたが、

 

残念ながら再開のサインは全くない。

 

しょうがない、駅から出てreplacement Busをあたるしかないと

 

腹をくくって改札に向かった。

 

駅員さんに「どこに行きたい?」と聞かれたので、

 

ヒースロー空港近くのホテル名を告げた。

 

そうしたらバス停を教えてくれたのだが、

 

駅から結構離れていることは何となく感じた。

 

彼が言ったようにバス停を目指して通りを歩いたつもりだが、

 

歩く道がだんだん住宅街に入っていき、

 

とうていバス停があるようには思えない。

 

だんだん心細くなった私は、住宅街の通りでいったんはすれ違った10代の女の子2人連れに、

 

「すみません!この通りにバス停ってある?」と聞いてみた。

 

2人とも揃って、

 

「ないと思う」って答える。

 

えぇ~!!

 

振り出しじゃん!って思った瞬間、表情に出たのかもしれない。

 

「どこまで行きたいの?」と聞かれた。

 

ヒースロー空港の近くの〇〇ホテルまで行きたいの、

 

電車で向かってたら電車が止まっちゃって・・・みたいなことを話した。

 

彼女達はさっそくスマホでホテルの位置を確認してくれて、

 

そしてルート検索をしてくれた様子。

 

込み入った内容は翻訳アプリを使いながらやりとりしてくれて、

 

バス停の場所まで一緒についてきてくれることになった💛

 

なんて、ありがた~い 泣くうさぎ 泣くうさぎ 泣くうさぎ!!

 

そう、この時 間違いなく天使が現れてくれたと感じた。

 

バス停までの道々、

 

学生さん?と聞いたら、そうだと答えてくれた。

 

1人はインドから、もう1人はサウジから、

 

家の仕事の都合でイギリスに移り 住んでいるらしい。

 

そうか、、、日本に来たことある?って聞いたら、

 

ない、でも行ってみたい💚と

 

うっとりするような表情を見せてくれた。

 

なんてかわいいんだろう!

 

4-5分ほど通りを歩いていくとバス停が見えてきて、

 

しかも、ジャストインタイムで行きたい行き先のバスが停まろうとしていた。

 

私は2人と喜びあって感謝を伝え、バスに乗ったが、

 

バスが動いても2人の天使は手を振ってくれていた。

 

私は、優しさと愛をいただいたような気がする。

 

ほんとにほんとに、感謝の気持ち一杯。

 

そしてその時、頭の中で

 

”There must be an Angel" の曲が鳴った・・・・♬

 

彼女達とどこかで再び会えたら、ほんとにステキだと思う。

 

 

 

【セラピールームCoccole(コッコレ)】

 ERI