ここは何処?私は誰?

ギャグ、です。

そう言える、今日に感謝。


10年前の今日、全身が痛くて。

病院に行っても原因がわからず。


ゴールデンウィーク前から

仕事が圧していて

徹夜続きは当時、日常茶飯事。

工場に住み込んでいたので

昼間はひっきりなしのお客さんへの対応。

夜間に事務処理を。


一階へ階段を降りている時に倒れた。

幸い、従業員の子が前に居て

緩衝してくれたので膝を擦りむいただけで。


自分の身体より売上の方が大事で。


夫さんが見かねて、

「寝とけ、仕事はどうでもいいから」と

言ってくれたのに、聞く耳持たず。


とにかく半期決算が終わるまでは、と

相変わらずの生活を続けて。


6月に入って直ぐ

39度の熱が毎晩続き

自分で病院に押し掛けて

原因がわかるまで入院させてと

直談判。

昼間は病室で仕事をしていたら


10日後

錯乱状態に。


6月10日から8月中旬までの

意識、記憶、が無い。


たまたま押し掛け入院した病院に

阪大病院からインターンが来ていて。

たまたま、当時、アメリカから

日本に戻ってきていた

脳神経の権威の柳原医師が阪大に居て

インターンの子から報告を受けて

当時顧問勤務していた

多根総合病院に搬送指示を出してくれたおかげで

私は生きている。


髄膜炎脳炎。


適切な24時間点滴を

1ヶ月近く続けて

重篤な後遺症もなく助かった。


けれども 当初点滴の成分が合わず

腎臓の数値が劇的に悪くなり

このままだと透析が必要な状態になる。

替わりの薬は廃盤なので、在庫を持っている病院に声をかけて集まるまで

腎臓が保つのを待ちましょう、と。


点滴が用意できたものの

43℃の熱が2週間続いているので

覚悟してください、

普通の状態に回復は3分の1

重篤な脳障害が残る可能性が3分の1

亡くなってしまうのが3分の1


告げられた夫と両親は

この状態、柳原ドクターに診てもらえる

強運なんだから、信じよう、と

話し合っていた、と。


意識を取り戻して

1週間、両親、夫が わからず。

文字も意味を成さず。

記号、絵にしか見えなかった。


1ヶ月立つ頃には

夫、両親、友人を思い出せた。

でも、実のところ

今でも思い出せないままの

友人,親戚は居る。


そして独学で習得していた英語。

ほぼほぼ忘れてしまっていた。


その後 半年かけて

文字をもう一度思い出し

数字を思い出し

ゆっくりと回復したけれども。

脳機能は。


入院時 寝たきりで

全身の筋肉が弱っていて

退院した当日

道の微かな段差につまずき

転け方が悪く

アスファルトに顔面を打ち付け

右頬陥没骨折

前歯2本断裂

右上下奥歯粉砕。


大阪歯科大で3年かけて修復。


歯科大に通っている時に

地下鉄の階段で転けて

左足甲部分を亀裂骨折、

アキレス腱断裂。


なぜ転けたのか、かかりつけ医と

原因を探っていたら

どうやら肝臓の数値が悪過ぎる。

日々、色んな解毒ができていないから

毎日 疲れが取れていないから

転ぶ?と。


では、なぜ こんなに肝臓の数値が悪い?

お酒を飲まないのに。


肝生検をして組織検査でわかったのが

PBC  原発性胆汁性胆管炎

一種の免疫不全。

自分で自分の胆管を攻撃して

胆管を塞いでしまい肝臓に胆汁が

流れなくなり、肝硬変へと移行する。


今は内服薬が効けば、普通に寿命を

全うできる。

この病気は肝硬変になってから

わかる人が殆どらしい。

それが初期段階でわかったから

命が繋がった。


これで、これからは

ゆっくり生きていけるかなぁ、と。

思ったのも束の間。


コロナが猛威をふるっているさなか

輸入物のキャンディを舐めて

アナフィラキシー発症。

アレルギーは無いと思って生きてきたので

アナフィラキシーを発症してる事に

気付けず。

口腔内が腫れ上がり、舌が飛び出て

口が閉じられず。食道も腫れ上がり

呼吸がしづらくなり 病院に行くものの

コロナでほぼ全ての病院が


門前払い。


唯一見てくれた病院は

今 なんの検査も出来ないし

入院もさせられないから

体力を落とさないために

自分でリドカイン麻酔薬を含んで

麻痺させて、痛みが落ち着いたら

食事をして、と返された。


麻酔薬を含んでうがいをすると

痛みは治るが

涎が止まらず。

モノを舌で奥に送り込めず

吐き出して。

痛みで寝れず、四日後に

腹部、大腿部、頬に

帯状疱疹が現れて。


今度こそ 死んじゃうのかな、

こんな事なら 

いっぱいしておきたかった事が

あったなぁ。

残念😢と 泣いていたら


親友が

ウチの病院においで、直ぐに

見てあげる手配を整えておくって

連絡くれて。

コロナで大変だから

頼めないって思ってた。

だって師長だし、彼女は。


「親友を助けられずに

何のために働いてるのか、って

私を虚しくさせないで!」って。


2週間入院して

回復。


さて。

此岸彼岸のお話しは

ひとまず、ここで終了。



















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