この人は今!?「カープ鳥」の名物大将 広島の“パンチョ”木下富雄

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2014年9月16日 日刊ゲンダイから引用

広島の“パンチョ”木下富雄 今は「カープ鳥」の名物大将

1970年代半ばから80年代にかけての広島カープの黄金時代。“パンチョ”のニックネームでファンに愛された内野手がいた。しぶといバッティングと誰もがうなる広い守備範囲で鳴らした木下富雄さん(63)だ。トレードマークだった口ヒゲが懐かしい。カープひと筋、引退後もコーチ、二軍監督として若手を指導し、解説者としても活躍していたが、さて、今どうしているのか。

 トレードマークだった口ヒゲがすっかり白くなった木下さんと会ったのは、広島市中区十日市町にある炭焼やきとり処「カープ鳥きのした」。

「7年前にボクがオーナー、長男が店長で始めたんだ。長男は亜細亜大学の野球部でピッチャーやってたんだけど、1年の時、将来は焼き肉屋をやりたいとかいって野球部を辞めちゃってね。何とか大学を卒業した年に狂牛病騒ぎがあり、焼き肉屋どころじゃなくなった。で、接客業の勉強のために家具店に就職したのよ」

「入社1年目で営業成績がトップになったらしい。客商売に向いてたんだろうね。家具店で5年勤めた頃、そろそろ独立したいというんで、女房のいとこが『野球鳥』(現在の『カープ鳥』)って焼き鳥店のフランチャイズの創業者だったから、焼き肉より焼き鳥の方がいいだろうと、その店でみっちり修業して、開店にこぎ着けたんだわ」

 当時、中国放送で野球解説をしていた木下さんも、全面的に応援した。

「ナイターが終わると店に駆けつけ、お客さんの注文を聞いたり、野球談議の相手をしたりして店を盛り上げたよ。おかげで長男は、広電の横川駅近くに自分の店を持つことができた。十日市店は今、次男が店長をやり、女房や娘も手伝ってる。つまり木下家総出ってわけ。家族が元気に一緒に働けるなんて、最高に幸せなんじゃないかなあ」

■焼き鳥44種に現役選手の名前
ちなみに、木下さんは店では「大将」と呼ばれている。

「最近は、マツダスタジアムに来たライバルチームの応援団がよく寄ってくれる。みんな礼儀正しくてね。応援団の法被や帽子をカバンなんかに隠してるんだけど、相手の素性なんて話してるうちすぐにわかる。ボクは心が広い人間だから、気にしなくていいよと言ってあげるんだ、ハハハ」

 カウンターとボックスで計28席。焼き鳥は1本100円から。

「焼き鳥は44種類あって、それぞれに広島の現役選手の名前がついてる。チームの中心の監督はハツ、心臓ね。その昔、ブラウン監督は“オレはチキンハートじゃない”って怒ったらしい、ハハハ。マエケンはヒナ皮、丸は卵肉巻き、大瀬良は牛タンといった具合。毎年、メンバーは少しずつ代わるため、開幕前に微調整してる。ボク? 引退したのに、なぜかアイガモとして残ってるんだな」

現役、コーチとして6度のリーグ優勝、3度の日本一に立ち会った木下さんは二軍監督も務めた。

「二軍でも勝負にこだわって育てる。競った試合に勝って、初めて一軍で通用する力が身につく。これがボクの哲学だったよ。広島は巨人や阪神みたいに補強におカネをかけられないからこそ、若い選手にとってチャンスがある。今シーズンは首脳陣が若手を我慢して使ってきたことが、ようやく花開きつつあるんじゃないかな。あと、去年、クライマックスシリーズに出たのがいい経験になっている。ホント、今年は楽しみ。あの土砂災害で大変な目に遭われた方たちを励ます意味でも、優勝までいって欲しいね」

 野球解説は60歳を境に降りた。

「ボクが43歳で解説の仕事を始めることができたのは、大先輩の山本一義さん、古葉竹識さんが身を引いて下さったからこそ。ボクも60になったらやめようと考えてた。別に食うに困ってるんじゃなし、それが引き際ってもんさ」

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25年ぶりの優勝のときは、無料にしたとか…

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画像&文章引用元:
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/153330/3