今日、3月17日は愛猫ぎん太の一周忌です。
20年前、耳としっぽが茶色の青い目の白い子猫
が一人ぼっちで団地の路地を歩いていました。
猫好きの親娘に保護されました。
しかし先住猫に嫌われて、お友達のお家に連れて
来られました。
しかし、またそのお家の先住猫に嫌われて、小ち
ゃな白い子猫は、このお家でも引き取ってもらえま
せんでした。(=;ェ;=) シクシク
「あ、そうじゃ!昇鯉さん、猫が大好きじゃった」
σ( ̄∇︎ ̄o)
突然、電話がかかって来て、その方のお家に
子猫を見に行きました。
ちょうど実家の猫が亡くなったばかりだったので
寂しさもありました。
玄関を開けると、私を初めて見るのに、その子猫
は、めいっぱい可愛い声で「みゃぁ〜」と鳴きなが
ら私の元に真っ直ぐ歩いて来ました。
ミャー♪ヽ(∇⌒= )( =⌒∇)ノミャー♪
可愛い… (๑ÖㅁÖ๑)キュン❤ฺ︎
直ぐに抱き上げて連れて帰りました。
それがぎんちゃんとの出会いでした。
とても怖がりで人見知りの子なのに、あの時、真っ
直ぐに私の所に来てくれた。
ぎんちゃんなりに、この人に引き取ってもらわな
ければ行く所がない!と思ったのか…
それらから19年。
小ちゃかった子猫も、とても大きな猫に成長し、
耳としっぽだけ茶色い白い子猫のはずが、成長する
につれ、薄い茶トラになり…(^◇^;)
笹かま猫という毛色らしいのですが…目が青い子は
"蒼天の笹かま猫"と言うそうです。
この、どてーとした姿に何度も癒されていまし
た。(*´꒳`*)
7歳までお外に自由に出入りさせていたのですが
猫白血病になり、生命の危機がありました。
抗がん剤の副作用で、夜中何度も吐き気に襲われ、
苦しがるぎんの背中を何度も撫でてやりました。
副作用で一時は声も出なくなってしまいました
が、ぎんの強い生命力で乗り切り、病気を克服して
くれました。(๑•̀ㅁ•́๑)✧︎
それから17歳までは病気一つなく、元気に過ご
していました。
20歳までは生きていて欲しい!と、思っていま
したが、18歳になった頃から病院にお世話になる
ことが多くなりました。
だんだんごはん🍚を食べなくなり、あんなに
大きかったぎんちゃんが3キロを保つのに精一杯な
ほど痩せて、食べることもトイレも出来なくなりま
した。( ;∀;)
亡くなる2ヶ月前から、強制給餌におしめ、寝た
きりのぎんちゃんを介護しました。
この頃の私は、嫌がる強制給餌をして、飼い主の
エゴでぎんに無理をさせているなではないか?
強制給餌は、流動食を注射器で口に流し込みます。
誤嚥性肺炎のリスクがあります。
子猫の頃からお世話になっている担当医と何度か
話し合いもしました。
ぎんちゃんは人でいえば90歳を超える高齢。
エコーでは膵臓の裏に影があり、膵臓がんか、胆管
がんか…
もういずれ長くはないのは分かっています。
もう出来る治療は無い、リスクのある強制給餌を
してまで生かそうとする意味がかるのか?
とても悩みました。しかし、東京に居た息子2人が
ぎんに会うために帰省しました。
玄関の開く音と息子達の声…
動けないはずのぎんが息子達の元にヨロヨロと歩い
て来ました。
「この子は生きようとしている」( ;∀;)
私はぎんに一日でも長生きして欲しかった…
しかし、昨年の3月16日、強制給餌を終えた途端
苦しみ始めたぎん。
朝5時45分頃、家族に見守られ、ぎんは静かに
息を引き取りました。( ;∀;)
荼毘にふし、お骨にになって戻って来た
ぎんちゃん。
いずれぎんとはお別れする。強制給餌などせず、
そのまま自然に逝かせてやれば良かったんじゃない
か?
飼い主のエゴでかえって誤嚥で苦しめて逝かせ
てしまったのではないか?
自問自答もありました。( ;∀;)
亡くなった後、苦しそうな表情だったぎんの顔
が穏やかな寝顔に変わりました。
「しんどかったね、よく頑張ったね」(T ^ T)
今でも、私の手で死なせてしまったんじゃないの
か?ぎんは苦しんで逝ったんじゃないのか?
後悔の念はあります。
ぎんちゃんにあげていた、流動食。
もうとっくに消費期限が過ぎているのに、まだ廃て
られずに冷蔵庫に入っています。(^◇^;)
ぎんちゃん、ありがとう
今でも大好きだよd(⌒ー⌒)
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