子宮頸がんワクチン被害者の声 社会の闇に葬られると予測した10年を経て | キャロリン。の日記

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HPVワクチン 被害者 園田絵里菜さんからの2023年の年賀状

 

クリックして、読んでください。

 

 

 

 

 

娘が被害に遭ったと分かった2013年6月 

あの時、

 

社会の闇に、娘たちが葬られて、存在さえなくなるのではないかと予測して、

おそらく、ここか、gooのブログには、何度となく書いてきたし、いつも、そこを訴えてきた。

 

10年経って、

 

今、今度は、

中高生の少女だった被害者たちが、

口々に、叫んでいる。

 

当時から、モノのように扱われ、工場の生産ラインから外れた不良品・・・・

社会から切り離され、心は高校生で止まったまま・・・・

自分の存在意義が見出せない

 

彼女たちの生の声が一番、力が宿っていて、心に響く。

 

 

当初、社会の中での、居場所もなくなるだろう。

私たちが亡くなった時、社会が受け入れて貰えるように

 

社会の闇に葬られないようにと

ずっとずっと声を上げてきた。

 

私も、この園田さん親子のように

死のうと思った時もあった。

 

子宮頸がんワクチンの被害だと分かった時に、

どこもかしこも医療機関は、冷たく変わった。

受け入れてくれるどころか、暴言を吐かれて、被害者家族は、路頭に迷い、

恐怖に慄き、代替医療に走った。

西洋の医者を怖がり、不信感でいっぱいにさせた。

 

脳の炎症、免疫の攻撃が燃え盛っている急性期に

代替医療では、不可逆が大きくなるばかりだ。

 

正直、被害者の内部でも、

代替派と西洋医学派の小競り合いも多々あった。

 

医師が診てくれるようになるために、

私は、

「病院の中で自殺してやる!」

 

医師たちに診療願いを書いた

たくさんのチラシをプリントして、ばら撒きながら

死ぬ道を選ぼうとした。

 

被害者である娘が、止めた。

 

あの時の娘の言葉を忘れない。

 

「たとえ、何千何万の命が犠牲になったとしても、医師も誰も困らない。でも、お母さんが死んだら、私が困るから、私のために生きて!」

 

と、娘は言った。

 

あれから10年。

どの子も、今、20代半ばになって、

 

社会から切り離されて、

存在意義が見出せない

 

と訴えている。

 

危惧したことが

現実になって来ている。

 

当時必死だった私たち親は、

心折れて、「もう疲れたよ!パトラッシュ!」状態です。

 

でも、被害者たちの苦しい生きるための戦いは終わらない。

いや、終われないのだ。

命ある限り、辛く苦しい戦いは

命の終わりを迎えるまで

続いていくのです。

 

120名もの被害者が訴えて係争中であることを

1億2千万の国民のほとんどが知らない。

 

テレビも新聞も何のための報道なのだろうか。

 

それでも、被害者は、この地球上の片隅で、

マッチのような小さな希望の灯りを灯して

生き、訴えている。

 

不条理と理不尽極まりない中で、

命ある限り、精一杯、必死で生きながら、

 

「これ以上、同じ苦しみを味わう友達を増やさないで欲しい。」

と訴えている。