今日は弟の誕生日。
山形県で生まれた。

母は、私を産む時に妊娠中毒症で出血多量で輸血を受けた事から子供は一人を大事に育てると決めていたそうです。
母は結婚するまで健康だったそうです。
私が生まれる頃は、アパートの3階に住んでいて、昭和40年代ですからエレベーターも無いし、水も一階からポリバケツ、ヤカンに汲んで運んでいて食器洗い、洗濯と水を使う度に水を運んでたらしく、出産の話しが出る度に父の甲斐性が無いせいで妊娠中毒症になったと言ってましたねてへぺろ

私が3歳くらいの辺りは、近所で遊んでいた友達が6、7人居たと思いますが、段々に赤ちゃんが出来、一人っ子は自分だけになってしまったようですえーん

母は内職で編み物をしてました。洋服も作ってたかな?記憶は定かではないけど、何せお仕事しているので一人で静かに遊んでないとという意識でいたのは記憶にあります。
雨の日に一人で遊んでいるのが不憫に見えたそうです。

母が言ってたのは、いつも赤ちゃん欲しいって言われて「うちには赤ちゃんは居ないの」と!
それで納得してたようですびっくり

ある日、私が遊びから帰ってくるなり「デパートで赤ちゃん売ってるって!○○おばちゃんが言ってたよ。買いに行こう!」って言われたのが弟が生まれるきっかけになってしまったそうです。
母は○○おばさんは、何て心ない事言うんだろうと思ったそうです。
ただ、後からこの話を聞かされた時、とっておきの話を聞いたと思って急いで家に帰った記憶が蘇りましたねキラキラ母は笑って「デパートでは売ってないよ」と言ってたけど心決めてたんですねショボーン

私を産む時に妊娠中毒症が起きたから、弟を産む時には母の体はどうなるか分からないけどと命懸けで産むと決めたそうです。

弟は無事生まれ母も元気でしたが、生まれる前から病院に一、二週間入院していたので暫くぶりに会う母は「お利口にしてるか」と「さびしい」と言えずに「してるよ!」と言い、母が前もって買っててくれたウルトラマンのオモチャとスピンっていうスナック菓子を貰ったのを覚えてます。

後に聞いた話しによると、母が入院してる間、祖母が家に泊まっていたので祖母から私の様子を聞いていたそうです。
一人で幼稚園に行く仕度をしていて、住所、電話番号、両親の名前も言ってるのに祖母は驚いていたそうです。私は三月生まれなので3歳と何日かたった4月には幼稚園に行ってましたが、その時には上記は出来ていたそうです。母が自慢してました〜教育ママだったんですよてへぺろ

母が亡くなるまでは、こんな事を思い出したりしなかったんですが...
ブログに書いているうちに涙が出てきたので、今日はここで終着ですバイバイ