監督:斎藤寅次郎

製作:本木荘二郎

脚本:山下与志一

撮影:友成達雄

録音:高畠武康

編集:後藤敏男

美術:北辰雄

音楽:鈴木静一

特殊技術:円谷英二

出演:古川緑波、横山エンタツ、花菱アチャコ、石田一松、柳家権太楼、高勢実乗、鳥羽陽之助、永井柳筰、高堂国典、小高つとむ、石田守英、大庭六郎、飯田ふき江、田中筆子、戸田春子、藤間房子、森川君子

1945年/日本/84分・モノクロ


喜劇の神様と呼ばれた斎藤寅次郎監督作品ですね。斎藤監督は1905年生まれ、1923年の18歳の時に松竹に入社して20歳で監督デビュー。松竹では小津安二郎の1年先輩に当たります。寅さんの愛称で呼ばれていて、後の『男はつらいよ』の主人公、車寅次郎の名前の由来になったとも言われています。


監督デビュー当時は主に時代劇を撮っていましたが、やがてナンセンス喜劇を手掛けるようになり、無声映画時代はチャップリンやキートンにも匹敵するような傑作喜劇を作っていたそうですが、その時代のフィルムは現在はほとんど残っていないようで、残念ながら見ることは出来ません。その後、1937年に東宝に移り、エノケン、ロッパ、柳家金語楼、エンタツ・アチャコなど、当時の日本を代表するコメディアンたちの出演作を多数監督することになりました。


本作はそんなコメディアンたちが総出演した作品で、戦後初の正月映画として公開されました。終戦後、復員してきた5人の男たちが演ずる群像劇で、終戦直後の焼け野原となった東京を舞台に、食糧難や住宅難の世相を皮肉ったナンセンス喜劇ですね。


古川ロッパは、東大総長なども務めた加藤弘之男爵を祖父に持つ華族出身のインテリ芸人で、映画雑誌の編集者などを経て芸能界入りし、戦前はエノケンこと榎本健一と人気を二分する喜劇スターとして活躍しました。この年の大晦日には、NHK紅白歌合戦の前身となった紅白音楽試合の白組司会も務めています。


横山エンタツ、花菱アチャコは、吉本興業でコンビを組み、現在の漫才スタイルの元祖となった「しゃべくり漫才」で人気を博しました。本作の頃には既に漫才コンビは解消していましたが、映画の中では相変わらずの掛け合いギャグを披露しています。


石田一松は、バイオリン片手に縁日などを回る演歌師出身で、吉本興業では本作の中でも歌っている『のんき節』で売り出し、当局に睨まれるほどの辛辣な社会批判を行って庶民の喝采を浴びました。この翌年には戦後初となった衆議院議員選挙にも立候補して当選し、今で言うタレント議員の第1号となりました。


柳家権太楼はナンセンスな新作落語で売り出して客席を爆笑の渦に包み、その人気は兄弟弟子の柳家金語楼をも凌ぐほどで、爆笑王と呼ばれた三遊亭歌笑と双璧をなす、当時の東宝の看板落語家でした。