ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句であるらしい。
日本語では「死を記憶せよ」と訳されるらしいデス。
芸術作品のモチーフとして広く使われ、「自分が死すべきものである」ということを人々に思い起こさせる。
3.11 この日は何かの『はじまり』でしかないのかも知れないな。
何かの分岐点になるのだろう。
高度成長期、一億総中流、バルブ、そしてバブル以降と経験したこと
そんなモノがすべて吹っ飛ぶぐらいの出来事である。
経済学者が、地震学者が、原子力開発者が何を言おうと
誰も経験したこ とがない未知の領域なのだから。
過去に誰も経験したことのない状況
だから、揚げ足取りになるような発言だけは止めようと思う
右手首を捻挫して考えた 尻がふけない?(-.-;)・・・それもある試しに左で拭いてみた・・・
指が穴に入った・・・
水戸のご老公の近くには、いつも陰嚢(いんのう)が、あって『この陰嚢が目に入らぬか!』
手探りではわかりません!助さん、そこは格さんか?
しかし問題はそんな臭い話ではなくて『痛み』の意味についてである。『欲望するが行動せぬ者は疾病を引き起こす』とマスローは言ったが『動きたくない』という欲求もあるわけである。欲求のヒエラルキーの地下3階ぐらいでしょうか?
痛みにも当然、意味がある
例えば、手を動かして痛みがあれば それは、捻挫がまだ完治していない『手を動かすな!』という体からの要求です
痛みが消えれば、それは『捻挫』の完治を意味しているわけです。
『すごく生きてゆくのが苦痛で生きてゆけない』 これを手首の捻挫に例えると
生きてゆくのが苦痛というのは、『生きるな』と言う事を意味しているわけで
死ぬしかないわけで、死んでその苦痛が消えた時 それは完治したのだから『生きても良い』という事になるわけで その時点でゾンビ状態なわけです・・・。
たとえ人から『ゾンビ』と言われようとも 本人がそういう生き方が楽なら、それも選択の一つである。
かもしれない ・・・などと考えてしまう今日この頃でした。(-_-)

