幸運にもNiziUの単独ライブ初日に行きました。

 

会場から近い小倉駅周辺ではライブが始まる随分前よりNiziUグッズを持った人たちがあふれて盛り上がりを見せ、駅構内の大きな電子パネルにはMIIHIちゃんの誕生日をお祝いするメッセージも流れていました。

 

そして、ライブ会場の周りは多くの人たちが列をなしてグッズ販売やくじ引きなど、まるでお祭りのような盛り上がり。

 

そして、いよいよスタート!

 

NiziUがステージに出てきたらすでにスタンディングオベーション状態。

 

メンバーは可愛らしいしダンスは上手だし元気な歌声からみなぎるパワーはあっという間に会場を一つにしました。

 

パフォーマンスはもちろんのこと、最後のメンバー一人ひとりの言葉にジーンときて涙腺が危険水域に達しました。

 

あれだけ人気があるNiziUのメンバーが長いコロナ禍により不安を抱えていたこと、心配事に悩まされ眠れない日もあり支え励まし合いここまで歩んできたこと、会場にいらっしゃったメンバーのご家族は苦労を知っているだけに胸がいっぱいになったことでしょうし、私も親気分になってしまいました。

 

コロナの感染拡大が心配でしたがライブに行って良かった!

NiziUのピュアさに心洗われましたおねがい

小学校に入学し、相変わらずおてんばで日が暮れるまで外で遊んでいましたが、その一方で歌うことも大好きでした。

 

当時、大好きだったピンク・レディー。

 

レコードを何度も聴き、テレビに出たら夢中になって見て振付を覚え、学校で休み時間のたびに廊下で友達とピンク・レディーの完全コピーを披露。

私はケイちゃんになりきっていました。

 

習い始めた日本舞踊は初めて見る世界で楽しくて惹き込まれていきましたし、お稽古の後にいただくおやつもやる気を後押ししてくれました笑

 

元気いっぱいで人前で恥ずかしがらずに歌ったり踊っていたのに日本舞踊の発表会の舞台はこれまた違う世界で経験したことのない緊張感に包まれピンク・レディーのものまねとは全く違うものでした。

 

小学6年生の時、日頃お世話になっている先生と、またその上の雲の上のような存在である先生から「名取を取らないか?」と言われ、子供ながらに名取を取るには高額のお金が必要であることを薄々知っていたので驚きました。

 

母から「取りたいならいいよ。」と言われるも一般家庭ですし、当時10円のチロルチョコが食べれることに幸せを感じていた私は名取を取るということはチロルチョコがいくつ食べられるのだろう?と計算しました。

 

計算したらその数にビックリ!

母に「名取は取らなくていい。」と母に言いました。

 

チロルチョコと名取を比べたことは誰にも話しませんでしたが、もしその時話していたらどんなことになっていたのだろう?

話していたとしてもチロルチョコのほうを選んだかもしれません笑 続く

子供の頃、私は外で遊ぶことが大好きで公園だけでは事足りず、近所のお兄ちゃん達と近くの山に探検に行ったり、草すべりを楽しんだり。

屋外にいることが多かったので真っ黒に日焼けしていました。

 

ある朝、母が幼稚園に持って行かせるために摘んだピンク色の薔薇の花びらを幼稚園に向かうバスの中で周りのお友達に渡していたらバスが着く頃には花びらが一つもない姿に汗うさぎ

 

またある時は、乗らなければいけない帰りのバスが来たことにも気づかず園内で遊んでいて、お迎えに来た母はビックリ!私がバスに乗っていないことに焦ったそうです。

 

当時の幼稚園は給食として提供されるパンを配る時、「パンが来たよー!」の先生の一声。

 

小柄な私は背の高い子達のパンの取り合いに入れずいつも後ろに追いやられ、順番が来た時にケースをのぞいたら自分の好みとは違うあんぱんばかり。

 

大好きな銀チョコパンやソーセージパンが食べたかったので、食べることができた日はそれだけで一日嬉しい気分でした。

 

そして、運動会の鼓笛隊の楽器選びは先生の振り分けで体が小さいことを理由にカスタネットやトライアングル。

体が小さくても私だって小太鼓したかったのに笑

 

そんな私に転機が!

 

お遊戯会で着物を着て踊るグループになり、すごく楽しかったことがきっかけで日本舞踊を習うことになりました。続く