外車ファンのブログ
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バブル期の外車

1980年代後半、バブル景気とも相まって国民の懐に余裕が生まれ、国産車、輸入車共に販売台数は大幅に増加した。それまでは富裕層が主な購入ターゲットだった輸入車も、より広い層へとマーケットを広げるようになり、1985年には約5万台であった年間販売台数が1990年には約22万台となった。


BMW3シリーズが「六本木カローラ」、メルセデス・ベンツ190Eが「小ベンツ(こべんつ)」などと皮肉られることもあった。ヤナセなど日本国内資本が輸入者と販売者を兼ねていたが、メルセデス・ベンツ(1986年)、フォルクスワーゲン・グループ(1991年)など、メーカーが設立した日本法人が直接に輸入・販売をコントロールすることが主流となった。


希少性の低下したドイツ車に対するアンチテーゼとして、ジャガー、ボルボ(現ボルボ・カーズ)、サーブ、プジョー、ルノー、アルファ・ロメオ、フィアット、ランチアといった欧州車への注目もあった。マツダによるシトロエンやランチアなど、日本車ディーラーが輸入車を取り扱う傾向もみられた。バブル景気崩壊に伴い、早くも1991年には販売減少に転じた。


政治的な意味合いで、ホンダによるジープ・チェロキーの販売(1993年)、トヨタによるシボレー・キャバリエの販売(1996年-)などがあった。トヨタ系列ではフォルクスワーゲンの販売店展開(DUO店)も開始された。1996年、輸入車販売台数は史上最高を記録したが、これはホンダ・アコードなど国外生産された日本車の販売増加に拠るところが大きかった。

戦後の外車

第二次世界大戦の敗戦で、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が日本で活動するようになると、東京を中心に大量の車が持ち込まれた。GHQ関係者が使用するためである。ジープも多かったが、日本人はすぐに大量の洗練されたアメリカ車を目の当たりに見るようになった。日本人高官や企業関係者もそういった車にのって走り回るようになった。


アメリカ車が多かったが、スポーツカーに乗るGHQ関係者は欧州製を持ち込むものもいた。アメリカで乗られている自動車とはどんなものなのかを日本人はこのとき知った。1950年代から1960年代はアメリカ自動車産業の最盛期であり、アメリカ車は憧れの対象であった。しかし、1950年代当初の「乗用車生産を日本がすべきか否か」という国レベルでの大議論を経て、最終的にすべきと判断した国と自動車メーカーが技術取得のためにライセンス生産した車は欧州車であった。


1950年代は、欧州車が日本のメーカーにより組立(ノックダウン生産)および販売されていた時代であった。日本車(国産車)はマイナーな存在であり日本では乗用車イコール輸入車、という時代が続いていた。1950年代末ごろまでは乗用車販売のほとんど、つまり輸入車の多くがハイヤー・タクシー用途への販売だった。1960年代後半、本格的なモータリゼーションを迎えるが、それを担ったのは国産車であった。


1970年代、2度のオイルショックを経て「大きい」、「燃費が悪い」などの理由でアメリカ車の人気は凋落、輸入車への需要は欧州車へと移行した。1970年代半ばにはランボルギーニ・カウンタックに代表される「スーパーカーブーム」も起こり、国産車の普及とは対照的に日本における輸入車は「高価で特殊・特別な自動車」となった。

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20世紀の初頭、日本には自動車が輸入されていた。しかし、当時の日本では自動車が売れなかった。外国商館が輸入していたが、米国の価格に比べ日本での卸値を通常4倍ほどに設定していた。日本の販売店は一般に販売する価格が見込めなかった。買い手がつかないのでレンタカーにしようとしたが、それでも借り手がつかなかったという。日本自動車会社が花柳界を中心に売り出したところ、ある程度の販売が見込めるようになった。


その反動で一般人からは金持ちの道楽だというイメージが焼きついてしまった。当時の一般の人々の憧れは自動車よりも豪華できれいな馬車であったという。大正時代になる頃には、直接外国との取引に乗り出す日本の商社が現れるようになった。価格が安くなり商社という商社があらゆる自動車を輸入するようになり、商社で自動車を取り扱っていないところは無い程であった。


各種自動車が輸入され、多くがタクシー用途に使われた。この頃の運転手は特殊技術者であり花形職業で、一方自動車のセールスマンは運転手から転進する者が多かった。花柳界や大会社を相手に販売するセールスマンは一匹狼であり丁々発止で大金を稼いだ。パッカードのその年の新車の第1号車を購入するのに毎年複数人が全身全霊をかけて販売店経営者と営業を接待したらしい。


購入者自身が米国に乗り込み手続きをし、日本の輸入元が売った際の販売手数料もきちんと支払い船賃滞在費などすべて合わせても接待するより安かったというような話がのこっている。しかし程なくして官公庁が自動車を求めるようになると信用が求められるようになり、見積書の提出も必要になったため輸入代理店は会社として信用のあるところになっていった。