こうでなければならない。こうするべきだ。というリミッターが働いて抑制しているところが、私にはありました。
もちろん社会に組み込まれている私は、それが当たり前なのかも知れない、当然なのかなあとも思います。
本能の部分でそろそろ勝負してみたい、という気持ちが最近高まっています。
私が勉強していた『陽明学』では、心というものは元々輝いた鏡に似ているといいます。心に溜まるゴミを掃除しておかないと、鏡は曇ったままであるというのです。
物事も相手も自分の心(鏡)を通して映し出している。それにはちがいないのですが、はたして曇った鏡ではどうでしょうか。自分らしく映し出せるでしょうか。私が今この本能を信じてみるというのは、映し出している(表現)ことが自分らしく無いんじゃないか?
...と自分を疑っているのです。
『心即理』(しんそくり)
心は即ち理(ことわり)なり