本能を信じてみる。 | 時代の片隅で...

時代の片隅で...

70年代や80年代のレトロなものが好きです。
日々思うことを書いていきたいと思います。

本能的な自分の動きや考え方というものを、どうにか否定してきたところが、私にはある。
こうでなければならない。こうするべきだ。というリミッターが働いて抑制しているところが、私にはありました。

もちろん社会に組み込まれている私は、それが当たり前なのかも知れない、当然なのかなあとも思います。

本能の部分でそろそろ勝負してみたい、という気持ちが最近高まっています。

私が勉強していた『陽明学』では、心というものは元々輝いた鏡に似ているといいます。心に溜まるゴミを掃除しておかないと、鏡は曇ったままであるというのです。

物事も相手も自分の心(鏡)を通して映し出している。それにはちがいないのですが、はたして曇った鏡ではどうでしょうか。自分らしく映し出せるでしょうか。私が今この本能を信じてみるというのは、映し出している(表現)ことが自分らしく無いんじゃないか?

...と自分を疑っているのです。

心即理』(しんそくり)
心は即ち理(ことわり)なり