今日は死ぬのにもってこいの日 | Carlos's Gallery

今日は死ぬのにもってこいの日

先日インディアン ジュエリーショップPOWWOWで買った[今日は死ぬのにもってこいの日]
というインディアンの口承詩の本を紹介しますね。
ナンシー・ウッドという白人女性がニューメキシコ州はサンタフェにあるタオスという所に
住むブエプロ族の古老から口承されたことを詩のようにして書いてある本なんですね。
それは叙事詩を集めた詩集のような感じです。
そこにはインディアンの死生観が描かれています。
1974年にアメリカで発行されて以来、世界中のあらゆる世代の人々に読み継がれてきていて
追悼式、結婚式、キリスト今日のミサなどにも朗読されてきて、その詩はは、無数の名詩選
や教科書に転載されているみたいですよ。
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ナンシー・ウッドは詩、小説、ノンフィクション、写真と活動は多岐に及んでいる人で、
もう長いこと、サンタフェから20マイルの、広野の端に、孤独を共として住んでいて、
「孤独」は、自分の霊的生活に欠くことのできない要件だ、と彼女は言っているそうです。
夏になると、コロラド州のロッキー山麓に、ヴィヴァルディやモーツァルトのテープを持って
ハイキングに出かけて、そして音楽を風に聴かせながら、山の中でダンスをしているそうですよ。
文中の挿絵がこれまた素敵でフランク・ハウエルという人、やはりサンタフェに住んでいて
インディアンの肖像画や細密な風景画を描いています。
原題は"Many Winters"となっていて、最初は冬のことを語られています。
そして邦題の[今日は死ぬのにもってこいの日]の詩は中程に出てきます。
 
まずは"Many Winters"はこんな感じです
 
たくさんの冬を
わたしは生きてきた
終わりない夏と戯れ、疲れきった大地を
最初の雪が降ってきて覆いつくした
時のそもそもの始まりから。
たくさんの冬
わたしは山々の頂に水を捕らえて放さなかった、
月と太陽がみごとな円環を創り出した大地の始まり以来
まだ冷めやらぬ山々の頂に。
たくさんの冬
わたしは星たちを至るところに吹き飛ばした、
それぞれの星が落ちゆく先を
冬の陽の路に沿って
海と川が流れゆくように。
たくさんの冬
木々はわたしとともに寝た、
獣たちはわたしの胸の上を歩きまわり
鳥たちも夜寒の辛さを和らげようと
わたしの火のそばに近づいてきた。
たくさんの冬
わたしは孤独な月を友として生きてきた、
その月があとを追う灼熱の太陽は
大地を冬から解き放つ前
わたしたちの感謝の歌に聴き入った。
たくさんの冬を
わたしたちは生きてきた、
融けてゆく雪の中から、ひ弱な花が現れて
わたしは春の精です、と言った
時のそもそもの始まりから。
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[今日は死ぬのにもってこいの日]はこのように語られていますよ
 
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、わたしと呼吸を合わせている。
 すべての声が、わたしの中で合唱している。
 すべての美が、わたしの中で休もうとしてやって来た。
 あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
 わたしの畑は、もう耕されることはない。
 わたしの家は、笑い声に満ちている。
 子どもたちは、うちに帰ってきた。
 そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。
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彼らは生と死は直線的ではなくって円環的に捉えているので、死は決して終わりでなく
生へのつながりと考えてます。まさに輪廻転生ですね。
 
最後にこの叙事詩のなかで私が気にいった詩を紹介しますね。
 
わたしの中には
遠く広く見るのだと教えてくれた鷲と一緒に
東に向かって旅をする「少年」がいる。
鷲は改まって、こう言った、
君が住んでいる小さな世界など
あんまり重要ではない、と思えてくるような
「飛翔の時」というものが。この世にはある。
君の目を天空に向けるべき時間があるのだ。
 
わたしの中には
自分の内部を見つめよと教えてくれた熊と一緒に
西へ向かって旅をする「少女」がいる。
熊は立ち上がって、こう言った、
友達の風采の真似などしたくなくなる
「自尊の時」というものがある。
君自身と親しく向き合う時間があるのだ。
 
わたしの中には
叡智を教えてくれたバッファローと一緒に
北に向かって旅をする「老人」がいる。
バッファローは姿を消して、こう言った、
君が前に聞いたことのある話などしたくなくなる
「不信の時」というものがある。
「沈黙を守るべき時間」というものがあるのだ。
 
わたしの中には
わたしの限界を教えてくれたネズミと一緒に
南に向かって旅をする「老女」がいる。
ネズミは地面にくっついて寝そべり、こう言った、
夜、君が皆に忘れられてしまったか、と感じたりしなくなるような
「小さなものに慰めを見いだす時」というものがある。
「虫を楽しむ時間」というものがあるのだ。
 
昔はこういうふうに、ことが運んだ。
これからもそういうことになるだろう。
鷲と熊
バッファローとネズミ
すべての方角でわたしに交わり
わたしの人生の円環を形づくる。
 
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