河合曾良(1649-1710)という名前もあまり聞いたことがなかったのですが、松尾芭蕉が奥の細道で東北・北陸を旅した時に、ほとんどの行程に同行していた人物。
「かわい・そら」などという名前は現代では芸能人の名前のようですが、江戸時代中期の俳人としてはかなり有名な存在です。

松尾芭蕉が奥の細道に旅立ったのは元禄2年(1689年)のことですが、この時の松尾芭蕉は45才、河合曽良は40才ということで、当時の平均寿命から見ればかなり初老の男二人旅ということだったのでしょう。
年下の河合曽良の方がゴールの大垣を前にして病に倒れています。

河合曽良は芭蕉の弟子たちの中でも優秀だったことから、蕉門十哲(しょうもんじってつ)と言われる10人の一人と数えられています。
奥の細道に同行して、その覚書「曽良旅日記」は最初その信憑性を疑われていましたが、今では重要文化財となって天理大学の天理図書館にて保存されています。

宝永6年(1709年)には幕府の巡見使随員となり九州を回ることになりますが、翌年、壱岐を巡見中に62才で病死しています。
当時は62才でも徒歩で巡見をしていたわけですから、かなり過酷な労働条件だったのでしょう。



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