東福寺を創建したのは、江戸時代に日光街道・奥州街道が草加の地を通るにあたって沼地を埋め立てるなど尽力した大川図書(ずしょ)だったとされています。
慶長11年(1606年)のことですから、草加宿が開かれたのとほぼ同時ということになります。

この寺には3つの草加市有形文化財があり、そのうちの一つが山門になります。
こちらは寺の創建よりかなり遅く、元治2年(1865年)という刻印があります。
しかし実際にここに山門が作られたのは、それよりも少し前とされています。

本柱2本の前後に2本ずつ4本の控柱が立ち、両側に袖壁を付ける本格的な四脚門で、このような建築様式は鎌倉時代以降、かなり格式が高いものとして作られていますので、寺院の正門に配されているのがほとんどです。

鎌倉の寺はほとんどがこの様式ですし、奈良・法隆寺が最も有名なものとして残っています。
しかし、よく見ると四脚門ではありながらも実際には門柱と控柱を合わせて6本の脚があるわけです。

しかし、建築学的には中央の門柱を省くことができないというか、それがないと屋根が落下する可能性があるということですから、6本の脚がありながら四脚門という名前で正解だそうです。



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