御厨谷坂と書いて、「おんまやだにざか」と読む坂は江戸時代徳川家の厩舎があったことに由来する坂で、車も電車もなかった時代には馬が重要な交通手段であったことをうかがわせる名前が付いています。

江戸城も近くにあるということで、馬もこういう都心の一等地に居を構えていたわけですが、現在では大妻女子大学がこの地の中心として建てられています。

その大妻女子大学がある場所は、老中・田沼意次の息子で大年寄だった田沼意知を斬殺し、切腹した旗本である佐野善左衛門政言の邸宅がありました。
天明4年(1784年)の出来事で、当時の田沼意次による政治は農村の荒廃による飢饉と疫病が広がっていて、田沼意知を殺害した佐野善左衛門を称える声は多かったようです。

そして田沼意次の政治は贈収賄によって成り立っていた面もあり、そういった悪い面は現在まで引き継がれてしまっていますし、当時紀州藩の旗本だった田沼意次が、一気に幕府のトップにまで上り詰めることに世間の反発もあったと思われます。

当時の佐野家は桜が美しい庭として有名でしたが、切腹当時27才だった佐野善左衛門政言に子供はなく、佐野家は断家となりましたが幕末になって再興されました。
これは、当時世間からは「世直し大明神」と呼ばれたように田沼意次殺害が高く評価されたこともあるようです。