縮景園は戦時中の空襲避難場所にされていましたので、被曝後は多くの市民で溢れかえっていました。
もちろんその多くの人がここで亡くなっていったという悲しい歴史があります。
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ここで亡くなった人の遺体は、荼毘の火が米軍機の目標になることを恐れて火葬にされず園内の丘に埋葬されました。
その場所が迎暉峰(げいきほう)と呼ばれかつてはここから遠く広島港も見渡せたそうです。
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もちろん今ではこんなところに遺体はなく、一家全滅で引き取り手がない遺体や身元不明者は平和記念公園にある原爆供養塔へ移されました。
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当時朝日新聞のカメラマンだった人が撮影した写真をもとに発掘調査が行われ、昭和62年(1987年)に多くの遺骨が発見されました。
わずか25年前まではこの足元には多くの遺骨が埋められていたということで、勝っても負けても悲惨な結果しか生まない戦争というのは絶対にやるべきではないと、肝に銘じなければなりません。
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