濯纓池の中央に架けられた中国風の橋は、跨虹橋(ここうきょう)と言い、七代藩主・浅野重晟(しげあきら)が京都の名工に二度も築き直させたものといわれ、東京小石川後楽園の円月橋(えんげつきょう)や京都修学院離宮の千歳橋(ちとせばし)にも似た大胆奇抜な手法が駆使されています。
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この橋が中国風なのは、縮景園全体が中国の世界的な景勝地「西湖」を模して作られたと言われていますので、こういった橋の方が全体的な景観にはフィットするわけです。
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昭和20年(1945年)8月6日広島に原爆が落とされましたが、この跨虹橋だけは爆風にも耐えたほど強固なものとして知られています。
これが残ったおかげで6年後の昭和26年(1951年)には庭園部分は復元が完了して一般に公開されるようになりました。
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