ラダ・ビノード・パール(1886-1967)はインドの法学者・裁判官で、1946年の極東国際軍事裁判(東京裁判)ではインド代表判事として日本に派遣されました。
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ここに顕彰碑があるのは、極東国際軍事裁判において被告人全員の無罪を主張した「パール判決書」という意見書を出したことが大きいのでしょう。
こういうものを作ってしまうことも、靖国神社が中国や韓国から批判される理由にもなってしまいました。
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1930年に開かれたロンドン海軍軍縮会議の軍縮協定により駆逐艦の保有が制限されて、その制限外である排水量2,000トン以下、速力20ノット以下、備砲6.1インチ以下の船を海防艦と呼ばれていました。
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全部で171隻作られて半数近くは戦争で沈没、それ以外もほとんど連合軍に引き渡されました。
一部残っていた船は海上保安庁の巡視船として活躍しましたが、1960年頃にすべて退役しました。
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