幕末の彰義隊の戦いでは最後の激戦地となった穴稲荷は、明治以降花園稲荷と名前を改めていますが、以前から正式名称は忍岡稲荷ということです。
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こういう神社は珍しいのではないかと思いますが、鳥居が何重にも重なっているのは稲荷では普通ですが、だんだん下がっていきます。
普通は階段を上っていくのに、下がっていくのはあまりないでしょう。
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隣に五條天神社があり、その境内社のようになっていますが、もともとは花園稲荷神社の前身である穴稲荷神社があったもので、承応3年(1654年)に天海大僧正の高弟晃海僧正が霊夢に感じ廃絶の社を再建したとされていますが、もともとの歴史についてはわかっていません。
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旧社殿の跡は俗称「お穴様」と呼ばれ晃海僧正再建の記が刻まれた岩穴が現存し、安産の神とも言われ、特に縁談、金談の願かけの「白羽の矢」は古来から有名なものです。
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「白羽の矢」は現在では抜擢されるような意味で使われますが、もともとは生贄に差し出す者を選ぶという意味に使われていました。
特に箱根神社の九頭竜伝承は有名で、白羽の矢という言葉自体は箱根神社から派生した言葉ということになります。
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