井上哲次郎(1855-1944)は、筑前大宰府に生まれ、巽軒(そんけん)と号した哲学者。
哲学者だから哲次郎だったわけではなく、本名がそのまま職業となったようです。
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帝国大学(現・東京大学)で初めて教授になった日本人で、従来の英仏系の哲学に対して、新たにドイツ系哲学を研究。
日本の観念論哲学の樹立に寄与した人物です。
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体制側のイデオローグとして明治日本政府の道徳主義の思想界における切り込み隊長となったが、国民道徳としての「教育勅語」に限界を覚え、世界道徳を説くに至り、現実即実在論を援用して、国民道徳と世界道徳との矛盾を解消しようとしていました。
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しかし、筆渦事件を起こし不敬罪に問われ、公職を辞職してこの家で余生を過ごしていたようです。
ここにあった家は明治25年(1892年)から亡くなるまで50年以上住んだ家で、現在も残る2つの蔵は左側が明治36年(1903年)、右側が大正8年(1918年)の建築。
関東大震災で周囲の家屋は倒壊したものの、この蔵だけは当時のまま残っています。
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現在は住む人もなく、井上児童公園として文京区が所有しています。
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