道玄坂を登り切った渋谷マークシティの出口付近に3つの碑が並んで建っています。
1つは「道玄坂道慰霊碑」で、ここはかつて玉川電鉄の路面電車が走っていたところですから、何か事故にでもあった人を供養するものと思われますが、これについてはいくら調べても不明でした。
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その隣には「道玄坂の碑」。
渋谷氏が北条氏綱に亡ぼされた(1525年)時、その一族の大和田太郎道玄がこの坂の傍に道玄庵を造って住んだために、この坂を道玄坂というといわれています。
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江戸時代ここを通る青山街道は神奈川県の人と物を江戸に運ぶ大切な道でした。
やがて明治になり品川鉄道(山手線)ができると渋谷付近はひらけ出し、近くに住んだ芥川龍之介・柳田國男がここを通って通学していました。
坂下に新詩社ができたり、林芙美子が夜店を出したという土地であることが記されています。
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もう1つは与謝野晶子の歌碑です。
前衆議院議員・与謝野馨氏の祖母でもありますが、明治・大正・昭和を代表する歌人です。
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大阪・堺市出身であまり関係なさそうに思えましたが、与謝野鉄幹・晶子夫妻の居宅「東京新誌社」がこの近くにあったことから、この場所に歌碑が作られました。
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