1858年、幕末の徳川一橋派の旗本であった川路聖謨(かわじ としあきら)の邸宅内にお玉ヶ池種痘所が創設されました。
しかし、この種痘所はわずか半年で焼失して、上野へ移転することになります。
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この種痘所はその後の東京大学医学部へつながっているため、創設された5月7日は東京大学医学部の創立記念日とされています。
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お玉ヶ池というのは、江戸初期までは不忍池と同じくらいの大きな池だったのですが、徐々に埋め立てられ幕末には小さな池となってしまい、今ではその名残はまったく残っていません。
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わずかに残っているのが、このお玉稲荷で、その横にはお玉ヶ池跡の碑が建っているだけです。
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地元では「繁栄お玉稲荷」とされているようですが、ビルの一角にある本当に小さな神社です。
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現在、地図上でお玉ヶ池の名前が残っているのは、この碑が建っている「お玉ヶ池児童公園」だけです。
とは言うものの、このあたりはオフィス街で子供がいる気配は全くしません。
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岩本町は昔の地名では、神田岩井町や神田松枝町と言われていました。
千代田区ではこういった旧名を昔の雰囲気のまま残しているので、1つ1つ見て歩くのがおもしろいと思います。
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