「小五郎さん……今何て言わはりました?」
三津の真っ直ぐな眼差しに桂は身を固くした。何か気に障る事を言ったのかもと冷や汗が出る。
「えっ……。巻き込まれたくないと……。」
「違ーうっ!!自分の事俺って言いました!?」 easycorp
「言った……かも……?」
必死過ぎて何を口走ったか自分でも分かっていなかった。自分に縋りつく入江を見下して,
「言ったのか?」
情けないが確認した。そして男に縋りつかれているこの状態も情けないなと改めて思う。
「言いましたね。物凄い訛りながら俺って言いましたね。おめでとうございます,それで三津の心を鷲掴みにしたようですよ。」
嫉妬じみた入江の眼差しが突き刺さる。それから三津を見ると大いに頷いていた。
「俺って言ってるの初めて聞きました。」
久しぶりに輝く三津の目を見た気がする。それが眩し過ぎて直視できなかった。
「あー,元服に合わせて言葉遣いにも気を付けるようになって……それからずっと“私”だな。」
桂は三津をなるべく見ないように視線を彷徨わせながら答えた。
「稔麿は使い分けてましたよね。私らと喋る時と貴方と喋る時で。」
「そうだな。私は言い間違えんように統一した……ってお前はいつまでこの状態でおるんだ。」
桂はまだ纏わり付く入江の頭を小突いた。
「ぶん殴らない辺り木戸さんは優しいですよね。稔麿なんか鳩尾に蹴り入れてきましたからね。」
入江はからから笑って身を剥がしたが桂は頭が痛いとこめかみを押さえた。
「九一さん吉田さんにもこんな事してたの?根っからの男好きやないですか。」
「違う!ただのじゃれ合い!」
男好きは聞き捨てならないと抗議するも二人からは本当は好きなんでしょ?と言う目で見られてしまった。
「木戸さんに何と思われようが気にせんけど三津には分かってもらいたいっ!私は三津にしか興奮せんっ!
正直に言うと今日背中流して欲しいっ!」
入江は三津の両手をしっかり握ってずいっと詰め寄った。
『勢いで本音を言いよった……。』
桂は怒られても知らんぞと溜息をついてとばっちりを食らわないように徐々に二人から距離を取る。
「今日は疲れてるんでゆっくりさせてもらえませんかね?もう夕餉を作る気力しか残してないです。以上。大人しくお茶飲んで待ってて下さい。」
三津は淡々と告げて握られた手を解いて台所へと行ってしまった。
「怒られなくて良かったな。」
桂は入江の肩をぽんと叩いた。
「実質怒っとるのと変わりなくないですか?」
三津の冷たさに入江はしょぼくれた。入江はそのまま居間に座り込んで背中を丸めて三津の淹れたお茶に手を伸ばした。
桂も入江と向かい合うように腰を下ろしてお茶を啜った。
「お前を喜ばせてしまうのは不本意だが……。私から見ればあれは照れ隠しの一種だったぞ?」
「へ?照れ隠し?」
入江は気の抜けた声を出して桂の顔を見上げた。
「そう。私の時もそうだったが照れや恥じらいを隠したい時によくあんな態度をとっていた。」
「……さっきの私の言葉に三津が照れる要素ありましたか?」
入江は怒られる覚悟で背中を流して欲しいと伝えただけだから分からないと首を傾げた。
「だからお前の背中を流すのを想像して恥ずかしくなったんじゃないか?」
「そうや……三津は想像力が豊かや。」
入江はくくっと喉を鳴らして笑って,今日三津がしていた勘違いの話をした。
香の薫り一つで色んな思考を働かせていた事を思い出すと入江の顔は自然とにやけた。
「私が薫堂さんで染み付いた香の薫りを纏って帰ったもんですから三津は私に女がおると勘違いしとったみたいで。」
「いるんだろ?実際。」
「おらんわっ!あんたと違ってっ!!」
「私だっておらんわっ!!」
二人はムスッとした顔で睨み合った。
「愛想尽かされんようにせいぜいいい夫になる事だな。」
「先に愛想尽かされた木戸さんに言われてもねぇ。」
説得力ないときっぱり言い切った入江の言葉が桂の心をがっつり抉った。