栄光の勇姿
お疲れ様です。
今日も帰宅は深夜となってしまいました。
先程、スポーツニュースを観ました。
男子バレーボールが16年ぶりのオリンピック出場決定のあのシーンです。
ほんとに素晴らしいです。
感動しました。
植田監督のもと選手たちが一丸となって勝利を手にする。
感激しました。
勝利したというその事実、それにもまして尊いものは
その栄光を手にした者が
それにふさわしい勇姿を兼ね備えていたことにほかなりません。
その栄光にふさわしいチームであったことが
何よりも素晴らしいと感じました。
勝利の女神とは、その栄光にふさわしい者に
その栄光を授けるのだと思いました。
その栄光を手にした勇姿にこそ、ひとは感動し
勇気づけられるのです。
ただ日々の鍛錬に努め、荻野選手のように夢と使命をあきらめず
ただひたすらに努力する。
勝負はすでに戦う前に決まっていたのでしょう。
勝利とは、すでにその戦いにのぞむ前に
戦わずしても、勝てると己が確信できたとき
まさにその瞬間に
勝利の女神が微笑むのでしょう。
その真の勝利を手にした勇姿にこそ
ひとは心動かされるのです。
まさに現代の かっちょええ姿 を
昨晩はみせて頂きました。
北京での活躍を応援しています。
走れカリティス
希望とは・・・
お疲れ様です。
久しぶりにブログ更新です。
今週は非常に忙しくてなかなか更新できずにいました。
やっと少し落ち着きました。
そう言えば、もう6月ですね。
本当に早いもので、一年も半分終わるのですね。
ここ数年、一年が本当に早いです。
同時にどんどん歳を取ります。
もうあまり歳を取りたくないですね、ほんとに。
今週もいろいろとありましたが
ふと、中学生の頃読んだ本を思い出しました。
その本の最後の一説です。
「希望とは、もともとあるものとも言えないし、ないものとも言えない。」
「それは地上の道のようなものだ。」
「歩く人が多くなればそれが道となるのだ。」
希望というものはつくづくそういうものだと思います。
わたしのいまの希望が
多くの賛同を得て、確固たる道となることを
切に願うばかりです。
皆さんの「希望」とは何ですか?
走れカリティス
わたしの背中
お疲れ様です。
よく耳にする「親父の背中」という言葉。
わたしも親父です。
先日、わたしの息子に
「お父さんはどんなお仕事をしているの?」と
聞かれました。
ドキッとしました。
そう、小さいながらもわたしの息子は
わたしを確かに見ているのです。
親父の背中・・・
わたしの背中は息子にどう映っているのか?
わたしは息子にとって立派な父親なのだろうか?
わたしは息子からみて尊敬できる男なのだろうか?
これから息子が大きくなって
人生の岐路に立って
彼から受ける様々な相談に
親父として、一人の男として
どんなアドバイスをしてあげられるのだろうか?
いや、そんなことをいま考えるよりも
わたしの人生、生き方を通して
わたしがそうであったように
彼が人生に迷ったとき
一言、
「おまえの人生だ。 おまえがやりたいようにやればいい。」
「なんであっても、それが自分が信じて疑わないことであれば貫き通せばいい。」
「それがどんなに困難な道のりであっても、おれはおまえを心から応援してる。」
この一言を言ってやれる
そんな親父にわたしはなりたい。
だから、だからこそ
わたし、わたしのこの人生を
決して譲るわけにはいかない。
さあ、気張っていこう!
走れカリティス