ブッダは国王の息子ではない

これらの短文は、量としては貧弱であるが、それらを継ぎ合わせることで、仏教の創設の生涯に起きた主要な出来事について、きわめて明瞭な像を描くことが可能である。彼の父親は、ある文章(原注)では、王(ラージャ)と呼ばれている。しかし、ラージャは、認知された部族のメンバーに使われた尊称である。原文では、称号の使い方には常に几帳面であり、この単語を王様の意味に用いることは決してなく、王様は常にマハーラージャと記された。彼の家族は、半ダースほどの文章で、家柄がよく評判が高いと褒められているが、王族として褒められたことは一度もない。文脈から考えて、将来的にブッダになる人間の父親が本当に国王であったなら、この状況では、明瞭にその事実を述べるのではないかと思われる。ラージャという称号は、部族の人間に一般的に使われるものであり、現代のesquire(殿)というのとほとんど同じ程度の重みしかない。この丁寧語が暗示するのは、部族の中の世襲的重要性を持つ地位、および一時的な官職、ローマの執政官やギリシャの支配者のような高い名誉のある地位ではないかと思われる。どちらにせよ、後の王家伝説が作られた根拠は、このような単純なものであった。

 

原注 長部経典、ii. 7。『ブッダヴァンサ(仏種姓経)』xxvi. l.Sと比較せよ。