第三章 ブッダの生涯

 

教訓詩

東洋の学者が、キリストの生涯に関する事実を検証しようとする場合、クロプシュトックの『メシーアス』やミルトンの『失楽園』のような作品に依拠しようとは思わないであろう。それらが史実に基づいたものだとも主張しないだろう。それらの作品は、古代の文献から派生したストーリーを作り直した文学的技量という点に価値がある。おそらく、部分的には、特定の世論動向を後押しした時代的作品としての役割もあるかもしれない。史実を調べる人間であれば、オリジナルの文献を参照し、後代の詩句は無視するのが普通だ。残念ながら、ブッダの生涯に関する現代の一般的な概念を形成してきたのは、まさにそのような後代に書かれた教訓詩なのである。エドウィン・アーノルド卿の有名な詩『アジアの光』は、ブッダの時代から数世紀後にサンスクリット語で作られた詩(『ラリタ・ヴィスタラ』、漢訳では普曜経)に基づいており、当時のブッダ信仰を英語韻文で雄弁に表現したものである。ブッダの人生において実際に起きたことについて、現在確かめられるかぎり真実を知りたいと願う人は、明らかに、このような文学的イマジネーションの産物(教訓的ではあったとしても)を無視するであろう。そのような人は、初期の文献に赴くはずである。