我が家には犬1匹、猫5匹がいるので紹介します
長男 チィー(牡8歳)猫
彼との出会いは今のアパートに来る前、狛江市のマンションであった、生後間もない彼はベランダ伝いに遊びに来ていた、私達は当時うさぎの「サンデー」を飼っていたので当時猫が大嫌いな私は彼が遊びに来る事がとても嫌だった。しかしある大雨の日、ベランダから「ニャ~ン」と声がする、窓を開けてみると全身びしょ濡れになった彼が居て「あららびしょ濡れじゃん」と中に入れたらどうも歩様がおかしく外傷は無いものの明らかに怪我をしていると思った
かみさんが「隣に連れて行って来る」と言ってしばらくしたら泣きながら帰って来た
「どうした?」と聞くと
「私がこの子脚悪いんじゃない?すぐ病院に連れて行った方がいいよ」と言ったら隣の人は
「あ~こいつ明日保健所連れてくからいいんだよ」と言われ激怒し「だったら家が引き取る!」と彼を抱っこして帰って来たのだ
「ヒドイなぁ・・・」と思った私は放っておけず、彼を病院に連れて行ったら左前脚が3ヶ所骨折していてピンクのギブスを巻く生活になった
それから数ヶ月里親を探したが見つからず、結局家が引き取る事になった
「あと一日遅かったら・・・」と思うと彼は我が家に助けを求めに来たんだと思った
しかしうさぎのサンデーも居る、サンデーは寝台特急富士号で大分県佐伯市まで行ったし、那須サファリパークにも行った、首輪を付け多摩川をピョンピョン跳ね、まるで私が散歩されているようだった
チィーが怪我をしているからどうしてもチィーにかまってしまう、それから数ヶ月してサンデーは毛がお腹に溜まる病気でオペをし、先生から「明日の朝迎えに来て下さい」と言われていて楽しみにしていたら次の朝病院から電話があり「サンデーはダメでした」と迎えに行くはずの朝、急死してしまった
サンデーは僅か8ヶ月の命だった・・・
よくうさぎは「寂しいと死んじゃう」と言われるがサンデーは寂しかったのかなぁ?とチィーを怨んだ時期もある、しかしどんなに嘆いてもサンデーは戻って来ない、ならばサンデーの分までチィーを可愛がってやる事がサンデーに出来る唯一の供養だと思った
サンデーは今、調布の深大寺動物霊園に眠っている
そこで問題なのが狛江市のマンションはペット不可だった為、彼が堂々と安心して過ごせる物件を探した
次男 ライアン(牡7歳)犬、ウェルシュコーギー
ある日仕事から帰るとかみさんの様子がおかしい
「買っちゃったけど怒んない?」と言う
当時居候していた従兄弟の、のりくんと私はかみさんの事だ、てっきり千趣会の通販で何か買ったかどこかでちょっと高めの服でも買ったのかと思い気にもしていなかった
「・・・で何買ったの?」と聞くと、しばらく黙り込み一言
犬!
・・・犬?何か犬の絵が描いた服でも買ったの?と聞くと
ん~ん・・・犬!
何でもお母さんと調布パルコがGWに行なう「コジマ・ペットフェア」で私に何の相談もせず二人で犬を買ったのだと言う・・・私は固まり、のりくんは笑っていた
次の日調布パルコに行き「売約済み」の札が張ってあるケージに小さなコーギーがいた、売約済みとは他でもない我が家の事である
「ちょっと待ってよ・・・」と言いながらもそのコーギーを抱っこしたらもうメロメロになった(笑)
「名前はライアンにしよう!」と言っている自分がいた(私の大好きなメジロライアンから取ったのだ)
そして私、かみさん、チィー、ライアン4人での生活が始まった
長女 プリン(牝6歳)猫
猫は遊び相手が必要だと言う事で大阪にあるハッピーハウスと言う動物愛護団体から数匹の猫がやって来た、まずチィーと相性が合わなければダメなので私は仕事に行きチィーのパートナーはかみさんに任せた
「決まったよ、今度は女の子だよ」
「どんな感じ?」
「チィーと同じような色で可愛いよ」
私は仕事が終わり楽しみに急いで家路に着き対面した、しかし私の第一声は・・・
「お前ブッサイクやなぁ!」であった
しかし女の子である、「プーちゃん可愛いね」と毎日念仏のように語り掛けると(笑)日に日に可愛くなっていった、こう言うのを親バカと言うのだろう
そして私、かみさん、チィー、ライアン、プリンと5人での生活が始まりそれで終わるはずであった・・・
三男 モコ(牡5歳)猫
ある日仕事から帰ると我が家の前に人だかり、「何かあったのかな?」と覗いてみるとケージに入った白と黒の長毛猫が二匹いた」家の前の通りに捨てられていたと言う
となりの今野さんが「家は女の子がいいから白い方ね」
ん・・・嫌な予感・・・黒い男の子は自然に我が家に来る事になっていた・・・
そう言えば「長毛もいいなぁ」と言っていた気がする
モコモコしてるから名前はモコ、そして私、チィー、ライアン、プリン、モコと6人での生活が始まった
四男 小麦(牡4歳)猫
彼との出会いは天気の良い大井の城南島でいとこ、その友達とバーベキュー大会の日であった
ここは海沿いでテトラポットに落ちていた猫を誰かが助け、何故かかみさんが抱っこしている、その腕の中には生後2週間前後で今にも死にそうな茶トラの猫がいた
「こいつ病院連れて行かんと死ぬわ・・・」と思いみんなに謝り片付けもせず病院へ車を走らせた
途中「お前死ぬなよ!」と声を掛けながら病院へ向かう途中バッタリ動かなくなった・・・
信号待ちの時「おい!生きてるか?」と耳を顔に近づけたら彼はグーグー寝ていた(爆)
病院に着き「猫ウイルス性鼻気管炎」との診断で治るまで他の猫とは隔離しなければならなかった
目やにだらけで目も開かず、クシュンクシュンと苦しそうだった
この隔離しなければならない時期、かみさんは良く頑張った
毎日3時間起きにミルクをあげ続けると数週間すると病気も治り、ようやくみんなと一緒に遊べるようになった
そう言えば「茶トラもいいなぁ」と言っていた気がする、それから○○はいいなぁと一切言わない事にしている(笑)
そして私、かみさん、チィー、ライアン、プリン、モコ、小麦と7人での生活が始まった
五男 ちょこ(牡2歳)猫
「もういいだろう」と安心して過ごしていたある日、またまたうちのアパートが騒がしい・・・
今度はケージの中に黒白柄の子猫が3匹いた
数回に渡る会議を開いた結果一匹ずつ3世帯で引き取る事になった、うちの子と会わせた時はおとなしく、「男の子の割にはおとなしい子だね」と言って彼に決めた、しかしそれは彼の演技であり一番元気である(笑)彼にまんまとしてやられた・・・
ちょこの兄弟2匹は同じアパートにいて元気に過ごしている
こうして私、かみさん、チィー、ライアン、プリン、モコ、小麦、ちょこと8人での生活が始まった・・・
確かにライアンは買った、しかし5匹の猫達は一度「必要ない」と捨てられた猫達である
しかし彼等は我が家に来た事によって「絶対必要な存在」に変わったなのだ
引越しのシーズンになると人間の都合で犬や猫、最近はワニや蛇を捨てる人間がいるが私はそういった人間が絶対に許せない、彼等は物ではなく命があるんだ!
「飼うと言うより一緒に生きている」と言うCMがあるがその通り、一緒に生きているから「責任」がある
普通であれば私達より彼等の方が早く逝く
飼い主は彼等を選べるが彼等は飼い主を選べない、じゃあ与えられた時間を一緒に生きよう!とは思わないか?
確かに本来猫は外で生活する動物である、しかし今は車に轢かれたり猫エイズなどの感染症が蔓延している外にいる方が危険と言う意見もある、我が家はあくまで室内で生活してもらっている、果たしてどっちがいいのか?は本人達に聴いてみないと正直分からない
室内で共に過ごすスタイルを決めた私達はどんな状況になってもうちの子達を見捨てたりしない、常々みんなに「お前らみんな老衰で死ねよ」と言ってある
もし大地震が来て家に住めなくなれば犬、猫は避難所には入れない、だったら一緒に車で寝泊りもするよ
☆LAFESTAならみんな入るやろ☆
だから今回、川崎から大分への引越しをすると言う私達の勝手な都合で彼等を置き去りにはしない、絶対一緒に連れて行く
何故なら彼等は「大切な家族」なのだ!
どうかこの気持ちを何とか父に納得して欲しかった
宮田家の性質として自分が気に入らないと瞬間湯沸かし器のように感情的になるので、父に対してこちらも感情的になったら当然喧嘩になってしまう、私達は何を言われても怒りをぐっと堪え決して怒らず、丁寧に粘り強く説得を続けたがまだ納得させるまではには行かなかった
そして夕飯が終わり、ゆっくり呑みながら私が何故この時期に私が生まれた中津市に帰るのか?中津市に帰って私が一体何をするのか?を父に語り出すと初めて父の態度が変わった