10月31日(日)犬1猫5と言う事が伝わっていなかったと言う事実がある


これで大家さんがNOと言えばまた振り出しに戻ると言う状況の中、私達は祈る思いで電話を待っていた


父はイライラし、母は心配そうに私達を観ていた


そして天皇賞・秋が始まる前に北オフィスから運命の電話が鳴った


奥様は猫嫌いな父を気遣ってくれたのか中津の実家では無く私の携帯に掛けて来てくれた


「もしもし北オフィスです」


私は生唾を飲み込んで


「いかがでした?」


と聞くと


「大家さんも頭を抱えちょったけど敷金5ヶ月で3ヶ月分償却、これ以上犬、猫を増やさない事、更にもしアパート内で苦情が出れば私達が出て行くならOK」との事であった


私は一気に全身の力が抜けた・・・敷金5ヶ月など想定内だったからである


やっぱり引っ掛かったのが猫5匹であった「言った、言わない」よりもちゃんと伝わっていなかったのは私達の責任なので、まず北ハウスへ謝罪へ出向いた


「ちゃんと伝わってなくてすいませんでした」


「大家さんがいいちゆうちょるけんいいんよ、でも隣の人が何ちゆうかなぁ?隣の人がダメちゆうたらそん時は仕方ねぇなぁ・・・」


そうだ・・・大家さんはOKでも問題は隣の人である、もし隣の人がもしも犬嫌いでがOKを出さなければその時点でNGである


「挨拶に行こう」と車を走らせた


29日にもご挨拶に行ったのだがお留守だったので、とにかくお隣さんに会えるのは今日しかない


「頼むから居てくれ・・・」


祈る気持ちでピンポ~ンとチャイムを鳴らしたらしばらくして若い男性が出で来た


「はじめまして、来年の一月に引っ越して来る宮田と申します、実は犬がいましてチャイムが鳴ったら多少吠えたりしますが宜しいでしょうか?」と聞くと


「あ~全然問題無いですよ、お気になさらないで下さい、むしろうちには赤ちゃんがいますのでその泣き声の方でご迷惑お掛けするかもしれませんが・・・」と有難いお言葉を頂いた


またまた全身の力が抜けた(この日2回目・・・)


それから北オフィスに電話をし、「隣の方からOKもらいました」と言うと奥様も「あ~良かったなぁ、私もほっとしたわぁ」と言ってくれた


大分県中津市でペット可の物件を探すのがいかに大変か思い知らされた2日間であった


そこで大家さん、北オフィスの方が一番心配しているのが猫による壁や襖などの「破損」である、だったら「猫5匹いても退去時には絶対現状を維持してやる!」と壁などに一切傷付けない完全防御する補修を計画している


昨晩父に「何故このタイミングで中津へ帰るのか?」「中津に帰って仕事はどうするのか?」を説明した


猫大嫌いでしかも「こっちに帰って来たらサラリーマンをやれ!」と言う世界一頑固な父を納得させむしろ「分かった、協力する」と言わしたたその「宮田家3年越し計画」の内容とは・・・


我が家には犬1匹、猫5匹がいるので紹介します


長男 チィー(牡8歳)猫


彼との出会いは今のアパートに来る前、狛江市のマンションであった、生後間もない彼はベランダ伝いに遊びに来ていた、私達は当時うさぎの「サンデー」を飼っていたので当時猫が大嫌いな私は彼が遊びに来る事がとても嫌だった。しかしある大雨の日、ベランダから「ニャ~ン」と声がする、窓を開けてみると全身びしょ濡れになった彼が居て「あららびしょ濡れじゃん」と中に入れたらどうも歩様がおかしく外傷は無いものの明らかに怪我をしていると思った


かみさんが「隣に連れて行って来る」と言ってしばらくしたら泣きながら帰って来た


「どうした?」と聞くと


「私がこの子脚悪いんじゃない?すぐ病院に連れて行った方がいいよ」と言ったら隣の人は


「あ~こいつ明日保健所連れてくからいいんだよ」と言われ激怒し「だったら家が引き取る!」と彼を抱っこして帰って来たのだ


「ヒドイなぁ・・・」と思った私は放っておけず、彼を病院に連れて行ったら左前脚が3ヶ所骨折していてピンクのギブスを巻く生活になった

それから数ヶ月里親を探したが見つからず、結局家が引き取る事になった

「あと一日遅かったら・・・」と思うと彼は我が家に助けを求めに来たんだと思った

しかしうさぎのサンデーも居る、サンデーは寝台特急富士号で大分県佐伯市まで行ったし、那須サファリパークにも行った、首輪を付け多摩川をピョンピョン跳ね、まるで私が散歩されているようだった


チィーが怪我をしているからどうしてもチィーにかまってしまう、それから数ヶ月してサンデーは毛がお腹に溜まる病気でオペをし、先生から「明日の朝迎えに来て下さい」と言われていて楽しみにしていたら次の朝病院から電話があり「サンデーはダメでした」と迎えに行くはずの朝、急死してしまった

サンデーは僅か8ヶ月の命だった・・・


よくうさぎは「寂しいと死んじゃう」と言われるがサンデーは寂しかったのかなぁ?とチィーを怨んだ時期もある、しかしどんなに嘆いてもサンデーは戻って来ない、ならばサンデーの分までチィーを可愛がってやる事がサンデーに出来る唯一の供養だと思った


サンデーは今、調布の深大寺動物霊園に眠っている


そこで問題なのが狛江市のマンションはペット不可だった為、彼が堂々と安心して過ごせる物件を探した



次男 ライアン(牡7歳)犬、ウェルシュコーギー


ある日仕事から帰るとかみさんの様子がおかしい


「買っちゃったけど怒んない?」と言う


当時居候していた従兄弟の、のりくんと私はかみさんの事だ、てっきり千趣会の通販で何か買ったかどこかでちょっと高めの服でも買ったのかと思い気にもしていなかった


「・・・で何買ったの?」と聞くと、しばらく黙り込み一言



犬!



・・・犬?何か犬の絵が描いた服でも買ったの?と聞くと



ん~ん・・・犬!



何でもお母さんと調布パルコがGWに行なう「コジマ・ペットフェア」で私に何の相談もせず二人で犬を買ったのだと言う・・・私は固まり、のりくんは笑っていた


次の日調布パルコに行き「売約済み」の札が張ってあるケージに小さなコーギーがいた、売約済みとは他でもない我が家の事である


「ちょっと待ってよ・・・」と言いながらもそのコーギーを抱っこしたらもうメロメロになった(笑)


「名前はライアンにしよう!」と言っている自分がいた(私の大好きなメジロライアンから取ったのだ)


そして私、かみさん、チィー、ライアン4人での生活が始まった



長女 プリン(牝6歳)猫


猫は遊び相手が必要だと言う事で大阪にあるハッピーハウスと言う動物愛護団体から数匹の猫がやって来た、まずチィーと相性が合わなければダメなので私は仕事に行きチィーのパートナーはかみさんに任せた


「決まったよ、今度は女の子だよ」


「どんな感じ?」


「チィーと同じような色で可愛いよ」


私は仕事が終わり楽しみに急いで家路に着き対面した、しかし私の第一声は・・・


「お前ブッサイクやなぁ!」であった


しかし女の子である、「プーちゃん可愛いね」と毎日念仏のように語り掛けると(笑)日に日に可愛くなっていった、こう言うのを親バカと言うのだろう


そして私、かみさん、チィー、ライアン、プリンと5人での生活が始まりそれで終わるはずであった・・・



三男 モコ(牡5歳)猫


ある日仕事から帰ると我が家の前に人だかり、「何かあったのかな?」と覗いてみるとケージに入った白と黒の長毛猫が二匹いた」家の前の通りに捨てられていたと言う


となりの今野さんが「家は女の子がいいから白い方ね」


ん・・・嫌な予感・・・黒い男の子は自然に我が家に来る事になっていた・・・

そう言えば「長毛もいいなぁ」と言っていた気がする


モコモコしてるから名前はモコ、そして私、チィー、ライアン、プリン、モコと6人での生活が始まった



四男 小麦(牡4歳)猫


彼との出会いは天気の良い大井の城南島でいとこ、その友達とバーベキュー大会の日であった

ここは海沿いでテトラポットに落ちていた猫を誰かが助け、何故かかみさんが抱っこしている、その腕の中には生後2週間前後で今にも死にそうな茶トラの猫がいた


「こいつ病院連れて行かんと死ぬわ・・・」と思いみんなに謝り片付けもせず病院へ車を走らせた


途中「お前死ぬなよ!」と声を掛けながら病院へ向かう途中バッタリ動かなくなった・・・


信号待ちの時「おい!生きてるか?」と耳を顔に近づけたら彼はグーグー寝ていた(爆)

病院に着き「猫ウイルス性鼻気管炎」との診断で治るまで他の猫とは隔離しなければならなかった

目やにだらけで目も開かず、クシュンクシュンと苦しそうだった


この隔離しなければならない時期、かみさんは良く頑張った

毎日3時間起きにミルクをあげ続けると数週間すると病気も治り、ようやくみんなと一緒に遊べるようになった

そう言えば「茶トラもいいなぁ」と言っていた気がする、それから○○はいいなぁと一切言わない事にしている(笑)


そして私、かみさん、チィー、ライアン、プリン、モコ、小麦と7人での生活が始まった



五男 ちょこ(牡2歳)猫


「もういいだろう」と安心して過ごしていたある日、またまたうちのアパートが騒がしい・・・

今度はケージの中に黒白柄の子猫が3匹いた


数回に渡る会議を開いた結果一匹ずつ3世帯で引き取る事になった、うちの子と会わせた時はおとなしく、「男の子の割にはおとなしい子だね」と言って彼に決めた、しかしそれは彼の演技であり一番元気である(笑)彼にまんまとしてやられた・・・


ちょこの兄弟2匹は同じアパートにいて元気に過ごしている


こうして私、かみさん、チィー、ライアン、プリン、モコ、小麦、ちょこと8人での生活が始まった・・・


確かにライアンは買った、しかし5匹の猫達は一度「必要ない」と捨てられた猫達である

しかし彼等は我が家に来た事によって「絶対必要な存在」に変わったなのだ


引越しのシーズンになると人間の都合で犬や猫、最近はワニや蛇を捨てる人間がいるが私はそういった人間が絶対に許せない、彼等は物ではなく命があるんだ!


「飼うと言うより一緒に生きている」と言うCMがあるがその通り、一緒に生きているから「責任」がある


普通であれば私達より彼等の方が早く逝く


飼い主は彼等を選べるが彼等は飼い主を選べない、じゃあ与えられた時間を一緒に生きよう!とは思わないか?


確かに本来猫は外で生活する動物である、しかし今は車に轢かれたり猫エイズなどの感染症が蔓延している外にいる方が危険と言う意見もある、我が家はあくまで室内で生活してもらっている、果たしてどっちがいいのか?は本人達に聴いてみないと正直分からない


室内で共に過ごすスタイルを決めた私達はどんな状況になってもうちの子達を見捨てたりしない、常々みんなに「お前らみんな老衰で死ねよ」と言ってある


もし大地震が来て家に住めなくなれば犬、猫は避難所には入れない、だったら一緒に車で寝泊りもするよ


☆LAFESTAならみんな入るやろ☆


だから今回、川崎から大分への引越しをすると言う私達の勝手な都合で彼等を置き去りにはしない、絶対一緒に連れて行く


何故なら彼等は「大切な家族」なのだ!


どうかこの気持ちを何とか父に納得して欲しかった


宮田家の性質として自分が気に入らないと瞬間湯沸かし器のように感情的になるので、父に対してこちらも感情的になったら当然喧嘩になってしまう、私達は何を言われても怒りをぐっと堪え決して怒らず、丁寧に粘り強く説得を続けたがまだ納得させるまではには行かなかった


そして夕飯が終わり、ゆっくり呑みながら私が何故この時期に私が生まれた中津市に帰るのか?中津市に帰って私が一体何をするのか?を父に語り出すと初めて父の態度が変わった

まさか出るとは思わなかった中津市の物件を観に行く日程を10月29日(土)30日(日)に決めた


とりあえず実際に物件を観て手付けを打たなければ早いもの勝ちで他の人が決まれば終わりと言う状況だったので当初は28日仕事が終わって夜の飛行機で帰ろうと思ったが金曜日なら最終の福岡空港行きに乗っても実家到着が23:30頃、しかも律ちゃんがこの日夜勤で居ないと言う事で29日(土)の10:01中津に着く寝台特急富士号で帰る事にした


のりくん、この2日間中津に帰った事は今度会った時に話すし、またもめるのも嫌だから君子さんと明さんには言わないで下さい、お願いします・・・


30日は前々から私の兄貴分である中尾さんとQUEEN横浜アリーナ公演に一緒に行く約束で私は毎日往診中、車の中、大音量で


「うぃ~うぃるうぃ~うぃるろっくゆ~!」


とベスト盤を聴きすごく楽しみにしていた、しかし11月の頭になるとレセプトがある為、またまた弾丸ツアーだが帰る日はここしか無かった、突然にも関わらず私のチケットを買ってくれた庄司さんにも心から感謝しています


そして10月29日(土)の午後、電話でしか話した事がない北オフィスに行き、初めてお会いする奥様にまずお礼を言った、そして奥様、父、かみさん、私の4人で物件を観に行った、そこには大家さんも来てくれた


北オフィスの奥様が「ここの大家さんは親切で野菜とかくれるんよ」と聴いていた通り気さくな大家さんであった


まずドアを開けると左にトイレとお風呂があり右にフローリングのダイニングキッチン、その奥にフローリングのリビング、リビングの隣に六畳と四畳半の和室、申し分ない広さであった。中でも六畳の和室にある今まで観た事もない超大型出窓!専用庭がありその向こうには鮮やかな緑の田んぼが広がっていた


どうしても風水にこだわる私は方位磁石、かみさんはメジャーを持参し間取り図に寸法を書き込んで行った


私達は当然納得し大家さんに「宜しくお願いします」と新居を後にした


それから北オフィスに戻り「私達の厳しい希望を聴いて頂き、本当にありがとうございました、あの大きな出窓に猫達が並んで日なたぼっこしますよね」と言ったら突然奥様の表情が曇った


奥様が「あれっ?犬1匹、猫1匹じゃなかったですかね?・・・」


「いえ、犬1匹、猫5匹ってお伝えしましたよね?」と言うと


奥様は「猫5匹もおるん?ありゃ~」と頭を抱えた・・・


そこに旦那様でもある社長が帰って来て奥様が「猫5匹ちゆうちょる」と言うと


「あれっ犬1匹、猫1匹やったやろ?」




伝わっていなかったのだ・・・



奥様が「電話じゃなんだからこれから私が大家さんに掛け合って来ます、そしてまた明日連絡します」


私達は血の気が引いた、これで大家さんがNOと言えばまた振り出しに戻ってしまう


そこで北オフィスを後にする前、猫嫌いな父が「そんな犬や猫なんか捨てて来い!」と言ったモンだから私達の怒りはピークに達した


ある日の午後、妹より電話があった


「今、北ハウスの人と豊前に来ちょんのよ~、確かに新築やけん綺麗やけどちょっとせめぇ(狭い)なぁ」


確かに大人2人と犬1、猫5が9帖の1DKと言うのはいくらなんでも狭いとは思っていたがここは全室ペット可と言う中津市近郊では滅多にない貴重な物件であった


私もそうだがかみさんも中津市近郊に帰れば親戚以外知っている人が一人も居ない


今現在住んでいる川崎のアパートは殆どがペットを飼っていてとても仲がいい。一緒に公園に行ったり、駐車場でバーベキューをしたり、私達が田舎に帰る時にはお玉がいる及川さん宅にライアンを預け、猫達にもご飯をあげてくれ大変助かっているし及川さん夫婦が旅行に行く時はお玉は家で預かり、猫達と遊ぶと言う持ちつ持たれつの関係が出来上がっている


豊前市の物件はベランダの前には小さくても専用庭があるのでライアンにミニドックランを作れる


私が仕事で家を空ける事が多くなり、留守番しているかみさんに対して何とかそのような環境が作れないか?


今のような状況は無理にしても犬好き、猫好きな人達と同じアパートなら話し相手もできるのではないか?


と考えたから多少狭くても我慢しようと思った


しばらくしてまた妹から電話「今、二件目に来ちょんのよ~」


「にっ二件目?!どこや???」


「中津市内でなぁ家から車で10分くらいのとこやわ~、こっちの方が広いし収納も多いよ」とのこと


「待てよ、中津市のペット可の物件は全て把握しているしマンション、アパートは一件も無い、もしあるなら一軒家のはず」


しかしそれは以前一度断られた3DKのアパート物件を北ハウスの社長が大家さんに掛け合ってくれてOKをもらってくれたのだ


「信じられない・・・」


2階建てアパート1階の角部屋、3DK駐車場一台込みで家賃何と・・・


¥48,000!!!


私は耳を疑ったと同時に北オフィスの社長、奥様に何とお礼を言ったらいいのかと思った


まさに奇跡が起きた


かみさんには少し寂しい思いをさせるが念願の中津市内にこの広さと値段である、そこでまず北オフィスに挨拶とお礼をする事と、もう二度と出ないであろうこの物件を見に行く計画を立てた


しかし大喜びしている私にこの時、再び大きな試練が待っているとは夢にも思わなかった

とにかく贅沢は言ってられない現実の中、9月25日川崎に戻りネットと電話を駆使して当たり構わず不動産屋さんを当たった


「ないです」


「ダメです」


「無理です」を繰り返された


そこで数少ない中津市の不動産屋の中でお互い顔も見た事が無いのにも関わらず電話のみの交渉で常に親身に対応をしてくれFAXを流してくれ、大家さんに掛け合ってくれたのが中津市中央町にある「北オフィス」と言う不動産屋さんただ一件であった


そもそも不動産屋と言う職業は住む人よりも大家さんの方が大切である事は充分承知している、しかしここの奥様始め社長である旦那様は私達の極めて厳しい条件でさえ「何とかならないか?」と物件を探してくれた、その気持ちに私達は「決めるなら絶対北オフィスさんだ!」と思った


ある程度物件探しをして出て来たのが中津市から車で30分弱の福岡県豊前市に1DKで犬、猫OKの物件が二件であった、そのうちの一件を気に入り、家賃はキャンペーン中と言う事で角部屋¥49,000が最初の一年間¥42,000でいいと言う、しかし9畳ではとにかく狭いし荷物が置けない・・・


あとは中津市の一軒家で家賃が¥73,000、通常であれば敷金3ヵ月であるが犬、猫が居る為敷金が5ヶ月必要との事であった


この二つを比較してみると福岡県豊前市の物件が入居時に¥49,000×5で¥245,000、年間で¥707,000


中津市の一軒家は¥73,000×7で¥511,000、年間で¥1,314,000かかってしまう


この¥607,000の差はあまりにも大きい


それだけの差があれば向こうでかみさんの車も買え、いくら掛かるか分からない引越しの資金に回せると思ったからである


それを考えると「狭くても我慢するしかないなぁ」と思い、福岡県豊前市の物件に決めようかと思ったある日、実家に物件のFAXを送り「物件を見に行ってくれないか?」と相談した


父、母、妹は途中まで車で行ってくれたが父が納得せず結局物件を見ないまま途中で帰ってしまったのだ


私は「やっぱり中津市に帰ってきて欲しいんだ」と感じた


ライアンが居る為、2階だと歩く音で下の方に多少迷惑が掛かると思い1階を探していてかみさんも気に入っている豊前市の物件で決めるしかないと思い父、母、妹に再度「お願いだから物件を見に行って欲しい」とお願いをし、北オフィスの奥様と4人で豊前市の物件を見に行ってくれた


しかしその日信じられない奇跡が起きる事になる

9月21日、何気に宇佐市の不動産屋を二件回った


まず一件目「こんにちは、犬1、猫5なんですけど物件はありますか?」


「ペット可はないんよ」とめんどくさそうに相手にもしてくれない・・・


二件目「賃貸ではないです、一軒家を買うしかないですね、もし賃貸でも物件が出れば連絡します」


しかしそれから全く連絡はない・・・


そして中津市の不動産屋へ「犬1猫5」と告げるとまず眉間にしわを寄せた


「小型犬可の物件はありますよ!しかし猫がダメです」まず猫5匹に拒絶される


「ちなみにお宅のワンちゃんは何㎏ですか?」


「12㎏です」


「それは大き過ぎます、無理ですね」


他の物件で「ここはオーナーさんが犬好きなので小型犬ならOKですけど12㎏は大き過ぎますね・・・」


「何ちゅうたかなぁ、ゴールデンレドリバーを飼っちょる人はおるちゆうちょったなぁ」(-.-;)


「ゴールデンは大型犬ちゃいますの?」


「でも猫5匹は無理です」そこで交渉決裂・・・


逆パターンもあった「ここは猫は鳴かないから良いですよ、でも犬はダメです、お宅の犬は吠えますか?」


「全く吠えない犬がどこにおりますの?


と言いそうになったが止めといた・・・


もっとも印象深かったのが中津市の不動産屋さんで「物件豊富にあります」とデカデカと看板を出し、「ここに行けば少しはあるだろう?」と期待に胸を膨らませながらドアを開け「すいませーん」と声を掛けるとほとんど裸で慌ててシミーズ一枚着たおばちゃんが出てきて一言


「何か?」


「いや何かて別に遊びに来たと違います」それより


「お宅は不動産屋ちゃいますの?」


と思いつつ「物件を探しているんですが・・・」と言うと


「あ~今主人がおらんけんうちは分からんわ」 私は頭痛がした・・・


全くヤル気なし「こりゃダメだわ」とそこを後にした


おばちゃん、不動産屋の看板を出しているからにはせめて服ぐらい着てて欲しかったわ(笑)


何件か不動産屋巡りをし、目の当たりにしたのは「こちらで犬、猫が飼える賃貸物件はありませんね、一軒家を購入された方が良ろしいんじゃないですか?」と言う事であった


しかし宇佐市でも500~700万、中津市に行くと1,000万以上する、確かにこちらに比べると驚くほど安いのは安いのだがいきなり一軒家購入はリスクが大き過ぎる


そもそも中津市、宇佐市は犬、猫とも「外飼い」が当たり前で平気で犬、猫が道路を横断している姿を見かける、私達の感覚では「おいおい危ないよ!」と思うのだが私の田舎にとっては当たり前の風景なんだと物凄いギャップを感じた


私達の物件探し一発目はものの見事に玉砕された・・・

まず父に読んで欲しい


母は間違いなく「主人在宅ストレス症候群」であると思った


それは父が留守番をし、かみさん、母、妹と4人で買い物に出かけたショッピングセンターでかみさんと妹は買い物をしている間、私と母がベンチに座り待っていると母は溜まっているストレスを私にもの凄い勢いで吐き出した


「こんなにストレスが溜まってるのか・・・」と私は愕然とした


確かに父が何気に発する一言や行動がいかに周りを不愉快にさせているか本人は全く気が付いていないし、むしろエスカレートしている、この数日間で私でさえカチンと来る発言が度々あった


しかし根本からやさしい母は父が居る家に戻ると愚痴一つ言わず普段通りの母であった、しかしそれは母本来の姿てではなく常に我慢をしている姿が痛々しく思えた


原因は何だろう?


まずうちの妹は介護福祉士で特別養護老人ホームで5交代で勤務をしている

今年34歳の妹に5交代勤務は体力的にも精神的にも想像以上にキツくストレスから車で自分一人で通勤出来なくなり、父が勤務先まで送迎をしている


早番なら4時起きで母はお弁当を作り遅番なら20時に父が迎えに行く、そんな日々が一年5ヶ月続いた、つまり妹の勤務時間が宮田家の生活パターンになっていた


そもそも妹に「介護福祉士の免許を取ったらどうだ」と言ったのは私自身である


その妹がボロボロになりながら5交代勤務をしている、「介護は現場だからどんなに辛くても一年は我慢しろ」その一年からすでに半年が過ぎていた


そこで妹に「今まで良く頑張ったね、もう辞めちゃえば?」と言った瞬間妹の表情が明るくなった、とにかく真面目で手抜きが出来ない妹に対して私は何でもっと早く気付いてやれなかったのか?ととにかく落ち込んだ


そして退職願は「こうやって書くんだよ」とかみさんと一緒に書き、ズルズル行っても仕方ないので見切り千両、10月31日に妹は今の職場を辞める事になった


中津市は資格が無いと若い人でも就職先はまずない、しかし妹は介護福祉士の免許を持っているので昼間だけ勤務出来る職場を探しにこっそりハローワークへも行ったがこの資格があれば仕事はいくらでもある


「デイサービスでも昼間だけの仕事したら?」


しかし妹は「とりあえず休みたい」と言う


私は「いいじゃん、別に介護職じゃなく全く別の仕事をやってもいいんだからまず生活パターンを戻したらいいよ、また介護をやりたくなったらいつでもやればいいじゃん?」と言った、これだけ頑張ってきた妹に「もう少し頑張ってみたら?」とは絶対に言えなかった


次に父、妹の送迎が無くなるから時間が空く、そしたら年金に影響がない程度にパートで外に出て幾ら稼ぐではなく「外に出て人と接する時間を作る」事が重要だからである


そして父が数時間でも外に出れば母が一人になる時間が作れる、今の母に最も必要なのは「一人になる時間」なのだ、やさしく温厚な母であるが故に爆発したら間違いなく父は捨てられる


今回の帰省はただの帰省ではなく「これをする為に呼ばれたんだ」と後から思った


その証拠に私は毎回帰省の度に必ずデジカメとビデオカメラ持って帰りデジカメで撮った写真をプリントアウトし、ビデオで撮った映像はVHSにダビングして郵送するのだが、デジカメで撮ったのは父の優良ドライバー表彰の賞状を持った写真2枚のみでビデオテープは一切録画していない、つまりそれだけ会話をしたと言う事である


そして私はこの一週間で宮田家全体の実態を目の当たりにし、今回帰った本当の理由を見つけた


それは故郷大分へ帰ると言う決断であった

私とかみさんが君子さん宅へ四連泊した時、毎晩深夜1:00過ぎまで君子さんはマシンガンのように我々にその溜まっている思いのたけをぶつけて来た、とにかく喋りだしたら止まらない


私は驚いたと同時に「何でもっと早く話を聴く機会を作らなかったのか?」と反省した


「とにかく夜が寂しい・・・」「誰が私を観てくれるん?」


私達は大きな一軒家に一人で住んでいる君子さんの思いをこの四日間で全て聴いた


それを踏まえた上で宮田家の君子さんの子、つまり私の父、母始めおじさんおばさんである兄弟、その奥さんに素面の時に個別に聴いてみたが各家庭それぞれ事情があり誰もが君子さんとの同居はすぐには難しいと判断した


今はうちの両親と妹が車で20分の中津市におり病院に連れて行ったりたまに顔を観に来たりしている、それは一番近い所に居るからであり別に誰が良い訳でも悪い訳でもない、ましてたまにしか帰れない私が宮田家全体の問題に対してあれこれ言う立場では無いからである


「じゃあ感情論ではなく客観的にどうしたら一番いいのか?」


私なりに考えた


但しその問題は君子さんだけの問題ではなく、更に解決しなければならない問題があったからである



9月18日敬老の日、妹が熱発した為祖母君子さん宅へ


君子さん始め佐伯市から長男夫婦、次男である私の両親、神戸から三男夫婦、豊前市から五男夫婦、隣の落合さん夫婦、私達夫婦総勢13名で夕方より大宴会が始まった


隣の落合さんご夫婦には台風の時など「心細いやろうけん家に来よ」と声を掛けて下さるなど常日頃君子さんを気に掛けてくれ本当に感謝しています


どこもそうだが田舎の宴会と言うモノはとにかく物凄いペースで次々と酒が空いて行き、そこに微笑む君子さんがいた


しかし数年前から私はお盆と正月に本籍である宇佐市に帰らなくなった、それには理由がある


皆それぞれ仕事を抱え親族が集れるのは大体盆暮れである、そして一人暮らしで待っている君子さんは子や孫の顔を見るのが何よりの楽しみである、私達も当たり前のように盆暮れに帰り大宴会をし帰って行っていた


問題は君子さんである


毎年盆暮れを心待ちにしているがとにかく大勢の子、孫が帰って来てその時間は嬉しい、しかし「一斉に来て一斉に帰る」と君子さんは祭りのあとのようにどうしようもなく寂しい気持ちになると言う


数年前からやっとそこに気付いてあえて私達は盆暮れは避け春や秋に帰るようにした


例えば盆暮れを第一陣とすると我々は第二陣、8月に君子さんの子が帰り9月に我々が時間差で帰ればお盆が過ぎても「来月には征彦達が帰って来る」という次の楽しみが出来るからである


「帰る方は楽しい、しかし残された方は寂しい」と言う事に気付き「ただ帰ればいいモノではない」と思った


そして祖父義隆の七回忌までは「時間差」で帰ろうと決めた


特に今年の3月君子さん誕生日は寝台特急富士号に乗っている時間が片道15時間33分、往復で31時間06分、大分県滞在時間が32時間03分とまさに「弾丸ツアー」であった(笑)


君子さんの誕生日プレゼントに財布を買い、受け取った時の嬉しそうな表情は今も忘れない


今回、思いもよらぬ妹の熱発で9月18日~21日と君子さん宅に初の四連泊、そこで君子さんの本心を聴く事になる


9月18日10:01中津駅に着いた、ホームから階段を降り改札に向かうとそこに大きく右手を上げる父の姿があった、父は嬉しそうに荷物を持ってくれ車へ、半年振りに帰った中津市は真夏のような日差しが私達を向かえてくれた


中津駅から車で約5分、一年に一度か二度しか言わない


「ただいま」


と実家の扉を開けると母の


「おかえり」


と言う言葉で「あ~帰って来た」と言う何とも言えない安堵感に包まれた、

離れている距離の分だけその喜びは大きい


しかし妹が居ない、「あれ?律ちゃんは?」と聞くと熱を出して寝込んでいると言う


律ちゃんの部屋に行き「ただいま、大丈夫か?」と聞くと「おかえり、きちいんや」と辛そうであったので

そっとしておいた


3月に祖母君子さんの誕生日に帰った時はあまりにも急で特別養護老人ホームで介護福祉士として働いている妹は急にシフト変更が出来ず「帰るんなら何でもっとはよ言わんの!」と怒られたので今回は一ヶ月前、律ちゃんのシフトに影響が無いように前もって帰る日を伝えておいたのに原因不明の熱発で辛そうであった


私の妹律子はずっと別府市におり、父の定年と同時に勤めていたオールディーズのライヴハウス「ヒットパレードクラブ」を辞め中津市で両親との同居が始まった


私と律ちゃんが生まれはしたが誰も知らない中津市で両親と同居する事になって2002年の秋、

私は彼女にある提案をした


「律ちゃん、介護福祉士の学校に行ったらどうだ?」


「私が今から2年も学校に行くん?」律ちゃんは困惑していた


地方はまず若い人でも仕事が無い、そこで国家資格でもある介護福祉士の免許を取れさえすれば大分県でも仕事はいくらでもある、あと誰も知っている人が居ない中で専門学校の中で友達が出来ればいいと思った。


この資格を取れば選択肢が広がる、5年後にケアマネになるのも良し、老人介護が合わなければ障害者の介護をするのも良し、後は律ちゃん自身の進みたい方向へ行けばいい。後は本人が決める事で私は一切干渉しないと思ったからだ


今考えて見れば18歳高卒の世代と机を並べ律ちゃんは2年間物凄く頑張った、

そして2004年3月介護福祉士になった


介護福祉士の免許を手にした時一通のメールが届いた、「何とか卒業出来ました、ありがとう」


私は胸が一杯になった


律ちゃんよく頑張ったね、しかしとり合えず一年はどんな辛い事があっても今の職場を辞めるな、日勤、遅番、夜勤を経験して現場の厳しさ、重要さ、大変さがちょっとだけ分かる、一年は経験だと思い我慢しろ、でも一年経ったら後は自分で決めればいいし応援するから・・・


言いだしっぺの私はたった一人の妹にそんな思いを送っていた