私がキャリアコンサルタントになった理由 | キャリアカウンセラー小島健一の「日日草枕」

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美しい人生の旅を一緒に歩みませんか?大分・別府出身のご縁耕しキャリアカウンセラー”こじけん”が、”一隅を照らす”情報を発信。これでココロもカラダもぽっかぽか

09b2d041.jpg東京・弘前をめぐる7泊8日の旅から帰ってまいりました。
今日は、地元のお祭りに参加し、地鶏の炭火焼を一生懸命焼いていました(笑)
日焼けが更に進んで健康的な小島健一に仕上がっています。

旅で会った方々から、続々とお礼のメールを頂いて、非常に感謝しています。

その中で、弘前大学の学生さんから届いたメール。
「こじけんさんは、何故キャリアコンサルタントを目指したのですか?」
について、これまでブログで書いていなかったので書きたいと思います。
うっかりしていましたが重要な部分ですね。


私の前職は私大職員です。
1999年4月から2004年12月末まで勤めました。

はじめに配属されたのが就職課。これがそもそもの起業のきっかけに繋がっています。

履歴書の添削を行ったり、内定が出なくて悩んでいる学生さんの相談に乗ったり、就職課に挨拶に来られた企業の人事担当者と面談したり、求人開拓のため出張に出向いたり、週に1度の就職講座の企画・立案などをしたり、保護者懇談会の相談など受け付けていました。

企業の欲しい人財、学生が望んでいる会社、保護者の望んでいる会社などをうまくマッチングさせて橋渡しする。ハローワークの仕事に似ていますが、もう少し心の奥底に迫った相談を心掛けていました。

そして、内定が出た暁に、

「小島さん!内定が出ました!」

と笑顔で挨拶にやってくる学生。

これが就職課で仕事をやっていて、一番の醍醐味でした。


その後、2001年12月に入試広報課に配属。
ここでは学生募集のため、福岡県内の高校の進路指導室を訪問する仕事をしました。
営業成績は芳しくありませんでしたが、おかげで今では、学校訪問は苦になりません。


喫緊の課題であった学生募集を速やかに進めるために、学長を座長とするプロジェクト会議に参加し、肩書きの重い方にも自由に意見が言えるということがわかった時期が、2002年末から2003年にかけて。

その後、学生の補習指導を行うセンターの事務員を仰せつかりました。


勉強内容の相談事が50%、それ以外の相談内容が50%という感じで、学生が真に悩んでいることは何なのか、現場で掴むことができました。


就職課とこの補習指導センターでの経験から、「主に就職の相談事を解決できるような資格はないだろうか?」と考えて出会ったのが、日本マンパワーが開講していたCDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)の講座でした。これが正に私の転機でした。


2003年の異動から体調を崩していた私は、自分自身の力を100%発揮することができないと判断し、退職を決意。ここで職を変わることにより、新たな自分自身の可能性を見出すため、一念発起して2005年1月に独立しました。


独立して成功だったでしょうか?


去年は本当に苦しみました。
今年の2月には「廃業もしくは休業もやむなし」という状況でしたが、運よく継続的な仕事が入ったため、今もこの仕事を続けることができています。

1月からは全国の大学生と縁が深まり、学生支援が枠のない世界でできることがわかりました。


独立して成功だったと思います。



1年後には、どうなっているかはわかりませんが、この仕事を続けていると思います。
また、続けていないにしろ、一生のライフワークとしてキャリアコンサルタントは続けていくと思います。


何が私をそうさせるか。。。。


人の笑顔が見られるから。人の笑顔を見たいから。

これに尽きると思います。



明日からもコツコツと歩み続けたいと思います。