おはようございます
carenavi_gate 訪問看護師 米中京子です。
自己紹介です![]()
それは突然やって来ます。
スーパーの青果コーナー。
ふと手に取った大根。
「あ─もう、煮物を作る相手がいないんだ。」
その瞬間、涙が溢れて止まらなくなった─
そんな経験はありませんか。
「不意打ちの悲しみ」が、グリーフの本質
お葬式では泣けたのに、普段の生活では案外平気。
「もう大丈夫かも」と思い始めた矢先─
夫が好きだった缶コーヒーが目に入る。
テレビから、二人で観た旅番組の再放送が流れてくる。
クローゼットを開けたら、まだあの人の匂いが残っていた。
日常の何気ない場面に仕掛けられた、記憶。
踏んだ瞬間、感情が一気に噴き出す。
これを、専門的には「悲嘆の再燃」あるいは「記念日反応」の一種と呼びます。
命日や誕生日といった特定の日だけでなく、季節の匂い、食べ物、音楽─五感に紐づいた記憶が、不意にスイッチを押してしまうのです。
53歳の男性が、味噌売り場で立ち尽くした日
在宅で奥様を看取った、53歳の男性の話です。
奥様が亡くなって二か月。
少しずつ自炊を始めようと、近所のスーパーに行った。
味噌売り場の前で、動けなくなりました。
「妻がいつも買っていた味噌がどれか、わからない。」
30年あまりの結婚生活で、味噌を自分で選んだことが一度もなかった。
その事実に気づいた瞬間、彼の目から涙が流れました。
「味噌の銘柄がわからないだけなのに、なんでこんなに悲しいんだろう。」
彼が泣いたのは、味噌のことではありません。
「日常の隅々にまで、妻がいたのだ」という事実に、身体で気づいたのです。
その涙は、温かい
不意打ちの悲しみ。
その涙は…
大根を見て泣くのは、大根料理が好きな大切な人と一緒に生きた日々があったから。
味噌の銘柄がわからなくて泣くのは、それを選んでくれる人がいた日常があったから。
その涙は、愛の記憶が身体を通って流れ出たものです。
だから─スーパーで泣いてもいい。
電車で泣いてもいい。
洗濯物を干しながら泣いてもいい。
不意打ちは少しずつ、「不意打ち」でなくなる
最初は、まったく予測できません。
何が引き金になるかわからない。
でも、繰り返すうちに、少しずつパターンが見えてきます。
「ああ、この曲を聴くとくるんだな。」
「この季節は、ちょっときついな。」
そうやって自分の中の「想いマップ」ができてくると、
不意打ちは徐々に「予測可能な波」に変わっていきます。
波が来るとわかっていれば、
「今日はちょっと無理しない日にしよう。」と
自分を守ることができる。
自分自身を大切にする、賢い選択です。
今日の問いかけ![]()
あなたにとっての「不意打ち」は、どんな場面ですか?
米中京子(KYOKO) 看護師歴35年/在宅緩和ケア
📖 著書『鎧を脱ぐ旅──存在の庭へ』『風を聴くひと』Kindleで発売中
