今日は4月2日、いよいよ新年度で昨日は街でも新入社員らしき方を見かけました。フレッシュでいいですね、私は...22年前のことになります。。。時間は経ちましたが覚えています。

 

さて、お祭りが終わってしまいました。World Baseball Classic。第1回大会が2006年、第2回大会が2009年とのことです。第3回大会(2013年)、4回大会(2017年)は決勝トーナメントまで進めずそんなに盛り上がりませんでした。私の記憶にもほとんどありません。

 

第1回大会は準決勝、決勝が全試合サンディエゴで、第2回大会は準決勝サンディエゴ、決勝はロサンゼルスのドジャースタジアムでありました。当時私はサンディエゴに住んでいて、第2回大会決勝を除くサンディエゴでの試合は全試合観に行きました。今でも覚えていますが、鶴橋という焼肉屋さんに選手が今いるらしい、寿司太田のカウンターでイチローがシゲさんが握った寿司を壁の方を向いて食べてるらしい。散々寿司を食べて、しめにうな重を食べたらしいなどというワイドショーねたばりの噂に当時の私は心が躍っていました。正直、アメリカでは当時WBCの知名度もほとんどなく、バックネット真裏の席が先日見てみると70ドルで買えていました。超特等席ですよ。(ちなみに今回大会の私が確認した当時と同じサイトでの最高値席は1席25,000米ドル、マイアミ Loan Depot Park 準決勝のバックネットに向かって少し左側の最前列です。いわゆる砂かぶり席、常時テレビに映る)

 

今回大会、チケットの売り出しが11月23日あたりだったことは後で知りました。そのころアメリカに行っていて、仕事に集中していたから仕方ない、と自分にいいきかせ、かつ私の中でのWBC熱もそこまででもなく日程がどうだ、東京プールで1位でも2位でも日本の準々決勝は3月16日だ、とかいうことを把握したのは大会数日前だったと思います。

 

2月に入り、ダルビッシュ選手が宮崎に来ました。アメリカはLAXから、国内移動はご存じのチャーター機。彼は今サンディエゴパドレスでプレーしていて、私が知る限りMLBの選手生活をサンディエゴで終えることを自ら選んだと思います。ご家族のこと、お子さんの教育環境のことを考えてこれまでテキサス、ロス、シカゴ等いろんなところに住みながらサンディエゴがベストだと選んだということでしょう。全く関係のない、なんらつながりのない方ですが私にはそれがとても嬉しかったんです。去年サンディエゴに行った際、ペトコパーク内のパドレスショップでキャップを買いました。ただでさえ顔と頭がデカい私が、さらにサイズのデカいキャップをなぜ買ったのかは覚えていませんが以降気に入って被っています。

 

WBC直前にダルビッシュ選手は1億ドルの契約をパドレスと結びました。テキサスレンジャーズが最初のMLB球団だったと思いますが、当時彼はまだ若く、たしかお父さんと一緒に渡米していろんな球団をみていたと思います。「今日もゆるく頼むよ」「本気出さないでよ」というような言葉を日本の他のチームの選手からかけられるようになり、自ら真剣勝負できる場所を求めてMLBを選んだ、というような話を記憶しています。(記憶はあいまい)

 

キャンプが始まるとニュースもさかんに。そのあたりからか、Twitter を見だすと2時間くらい夢中になってみている自分に気がつきました。「俺はここにいていいのか」「俺はこんなことしていていいのか」を考えるようになりました。それまでは「誰か正規でWBCのチケット買った人いるのかなー」「友達(野球好きが多い)で観に行く人いるのかなー」くらいの気持ちだったんですが、焦りにもにた気持ちがフツフツと沸いてきたんです。

 

その間に大谷選手も帰ってきました。この時点で国内はほぼ完全にフィーバー状態。日本への帰国もアリゾナからプライベートジェット、名古屋への移動でさえ小型ジェットで直前まで中部国際空港なのか、名古屋空港なのかを報道陣も知らなかったようでした。完全にスター、野球選手という枠を越えて、WBCが終わった今もダルビッシュ選手や大谷選手について評論家の批判めいた意見を私は読んでも聞いてもいません。なぜなら、彼らがやっていることはこれまで日本のプロ野球に歴史にないことだから。ダルビッシュ選手がトミージョン手術をして、その後リハビリの過程で身体を大きくした時、いろんな人が批判していたと思います。あんな筋肉マンになってどうするんだ、と。その年代の方で、今まともに彼らと話せるのは王さんくらいでしょう。なぜなら、その年代で唯一世界的な記録を持っている方だから。残念ながら、あとはもう通用しないんです。結果が証明もしています。だから、たまたま歳が下でそういうダルビッシュをみてきた大谷選手はレスペクトというか、言葉で表現できない想いがあると思うんです。

 

我々一般人がいくら球場に行っても、アメリカまで行っても、とれる情報はメディアを通してのみ。せいぜいいい席のチケットを取ってベンチであの選手がこうだった、ああだったというくらいです。本当のことは結局分からない、どういう会話がなされているのか、中国戦の先発はいつから決まっていたのか、その他諸々、核心に触れるところ、機微に触れるところは全くもって闇の中。

 

3月5日の日曜日は東京で用事を終えて福井に戻りました。今メールを見ると、その日の18:30くらいに私はWBCのチケットを買っています。翌日阪神戦、続く火曜はオリックス戦。あの、大谷の規格外ホームランが出た日です。しかも、しかも、間違いなく今年のスポーツの歴史に残る、結果的にWBCの優勝国とな日本野球界の歴史に残る大会にも関わらず、福井県勝山市では民放放送されなかったんです泣。家にノートパソコンを持ち帰り、スマホのテザリングでネットにつないでビールを飲みながら観ていました。そしたらなぜか、母親もやたら観てるんです。今までそんなでもなかったのに。夜ご飯をつくらなくていいように、スーパーの寿司とかを買ってきて自分も見れる体制を準備していました。

 

「母ちゃんも試合を見たいのかな」と思ったんです。結果的に、このことがきっかけとなり東京ドーム3試合、マイアミの準決勝、決勝まですべて母親と観戦しました。

 

初戦中国戦は別の場所で民放で視聴、この日は仕事もあったので見れなかったことも後悔なし。10日のダルビッシュ先発韓国戦は会社に休みをもらって東京ドームで。元々私のチケットしか取っていなかったのでこの日のみ母とは別の席。翌11日、佐々木朗希先発、大震災の日のチェコ戦も東京ドームで観戦。12日日曜日のオーストラリア戦は移動中、名古屋駅からスマホで観戦しはじめましたが電波が悪くとても残念。大谷の特大 Sales Force 看板直撃ホームランはライブでは観れませんでした..13日から3日間のオフもすごかったですね。あの瞬間(だけではないですが)侍ジャパンの選手は間違いなく日本の誰よりもキラキラしていて輝いていました。ダルビッシュが数あるなかからなぜ箕輪家なのか、いまだに謎ですが見城社長も好きですね。

 

16日の準々決勝は「指定席」とだけ書かれたチケットを定価の約20倍で買いましたが、これが結果的におおはずれ。ただ、ライト側の外野席に近かったのでトランペットの応援を楽しめ、後ろの列の若者が非常にいい子たちで一緒に応援できたことはいい思い出になりました。

 

前後しますが、その前日の15日にはマイアミに行くことを社内できめることになり、会社のみんなにも話しました。背中をおしてくれた人、理解してくれた人、本当にありがとう!

 

羽田-LAX-MIA-LGA-JKS-羽田という移動でした。テレビにも映り、新聞にも載せていただき、本当に選手を間近で見ることができ、数々の著名人を近くで見れたのも母は嬉しかったようです。私自身も初めは親孝行と言っていましたが、むしろ一緒に行ってもらったと言う方がふさわしいくらいで二人で行ってよかったです。

 

やっぱり野球は面白い。WBCは最高のエンターテインメントです。3回泣きました。3年後は胸をはって観に行ってくると言えるように計画を立て、チケットは正規で買うことをここに誓います。個人的なベストシーンは決勝戦 トラウトの第1打席、2塁へのヘッドスライディングです。おそらくあの瞬間、トラウトは本気だったでしょう。勝ちにいっていたでしょう。MLBのア・リーグでのMVPかどうか、詳しく確認はしていませんが年俸50億円近くもらっている球界のスターが日本相手に試合序盤からヘッドスライディング。もちろん大谷も見ていたことでしょう。それがあっての最終回、大谷対トラウト。なんというめぐりあわせでしょうか、決勝が日本対アメリカになるように、準々決勝が終わった時点で謎の日程変更があったにしても、こんなことが実際にあったとは今も信じられません。(テレビでうつされない場面を自分の見たいように見れるのが球場に行く楽しみの一つでもありますが、最終回大谷がリリーフでマウンドに向かって歩いていく姿をトイレにいた私は見れませんでした。「泥だらけのリリーフ」と中居君が表現したその雄姿を)

 

会社のみんな、本当にありがとう。Once in a life time experience。本当にいい思い出になりました。私の考え方や行動に影響をあたえた旅がこれまでにあるとしたら、おそらくこの旅行が一番だと思います。