Never surrender ~お母さんの舌癌闘病記~

Never surrender ~お母さんの舌癌闘病記~

御年67歳で舌癌を発症したお母さんの闘病記。

主な登場人物(笑)


お母さんヒマワリ1944年生まれの舌癌な母晴れ

兄ちゃんクマ1972年生まれの独身の変わり者うんち

ブタ1973年生まれのほぼフルタイムで働いていた主婦、

  お母さんの退院予定に合わせ退職するが、退院不可となり

  そのまま無職で面会通勤中・・・このブログの主。

旦那パンダ1980年生まれのボンクラ亭主、深夜勤星空

息子ヒヨコ2009年生まれの一人息子、おばあちゃんが大好きドキドキ



2011年6月、リンパ節転移10個以上を有する舌癌と診断されたお母さん。

同年7月6日、19時間にも及ぶ大手術を乗り越えたにもかかわらず、

同年8月末、放射線治療開始後に結核の疑いで検査の日々。

9月22日、肺にがん細胞が認められ、余命宣告を受けました。

退院の準備をしていた10月初旬、右こめかみに皮膚転移発覚。

10月11日、容態急変。退院見送りとなりました。

驚異的な回復を見せたものの、すでに施せる治療はなく緩和ケアを受ける日々。

そして気力を振り絞った日を経て→不滅のNever surrender

2011年、11月1日緩和病棟へ入院しました。





お母さんの入院前の気持ち・・・

Never surrender 

~決してあきらめない。




2011年11月15日16時26分・・・

大事な人がたくさん待っている場所へ旅立ちました。

温かいお言葉と応援、本当にありがとうございました。

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私が小学校の頃からのアイドルです。

 

シブがき隊や早見優ちゃん、松本伊代ちゃん、石川秀美ちゃん。

母と一緒に当時の歌番組をよく見ていました。

 

 

 

堀ちえみちゃん。

 

 

 

舌癌とのこと。

病状も母の発見時と同じステージ4、リンパ節転移。

 

 

 

今頃手術の真っ最中でしょう。

 

 

 

 

一気に約7年前のことが蘇りました。

手術の説明内容の複雑さ。

朝9時、手術室へ見送った時のこと。

明け方4時過ぎ、兄から終わったとの連絡。

術後の変わり果てた顔のこと。

喃語しか話せなくなっていたこと。

全身への転移が始まっていたこと。

肺に水が溜まって苦しんでいたこと。

緩和病棟へ移った日のこと。

最期の時を迎えたこと。

 

 

 

 

 

 

目の当たりにしてきた私にとって、

今のちえみちゃんの状況は不安でいっぱいです。

 

 

 

 

ですが、戻ってきて欲しい。

子どもたちやご主人のもとに。

 

 

声なんて出なくてもいい。

歌なんて歌えなくてもいい。

顔なんて変わってしまってもいい。

芸能界に戻れなくてもいい。

 

 

もちろん、夢を壊すようなことを言っているのは承知の上です。

 

 

生きてくれていることが分かればそれだけで嬉しいです。

 

 

一番大事な人のところへ、生きて帰ってきて欲しい。

お願いだから、生きてるだけでいいから。

 

 

 

 

 

 

あなたを一番大事にしてくれている人のところへ、戻ってきて下さい。

 

 

 

 

 

 

心から応援しています。

 

 

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11月24日13時より、某市葬祭場で行われました。



これ以上書くと、関係者の方々には分かってしまいますが
他の方の情報などは、一切触れませんのでご理解下さい。

また、「私もその場にいました。」とおっしゃる方、
こっそりメッセージ下さい(笑)



当日は曇天。
前日の雨のせいもあって肌寒い。



兄ちゃんと息子と3人で到着。
受付で早速、担当してくれた看護師さんに会う。
息子の名前まで覚えていてくれた。

ここでも息子、フリーダム。
式場のお姉さんに愛想ふりふり、お水をもらう(汗



一息ついて式場に足を踏み入れる。
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会の名前は「紫苑の集い」








紫苑の花言葉は









「あなたを忘れない」








亡くなってからもケアして頂けて有り難い限りです。
厳かな雰囲気で進められて行くはずなのですが、











やはりそれはこれ(笑)










3歳児にあの場は辛かった・・・。



大学の先生が講師を勤めて下さったお話も、
息子の監視でほぼ耳に入りませんでした(笑)
亡くなった方のお名前を読み上げてくださっている時も
「うん、うん、うん。」と、相槌を打ったり、
それでも献花の際は、「あーちゃんの。」と言って
小さなおててを合わせてくれました。
終始、比較的お利口ではあったのですが、




ただ・・・




ヤッパリヤラカシタ。




病棟の責任医の先生がご挨拶をされている途中、
いきなり大きな声でとある言葉を発し、場内少々凍りました。
「もうすぐおしまいやからね。」と言った母が悪かったのか・・・





「早く早く!」




と・・・




胃袋をきゅ~っと掴まれた気がした母。





その後開いて頂いた茶話会で平謝りに行きました(汗)
先生はとても優しくて、
「あれ~!そんなん言うたの!?」と笑顔。
言わなきゃ分からないのに~ぐらいの対応をして下さり、
本当にこの病院の先生方には頭が上がらない。

茶話会は式場の2階で行われ、会場には
6つぐらいテーブルが置いてあって、各々座り、
それぞれのテーブルに先生方がお話に来て下さると言う
感じで茶話会は進められていたのですが、

みんなが先生、看護師さん、ボランティアの方と
思い出話にお花を咲かせている中で、
息子は各テーブルにあった小さなカゴいっぱいにあったお菓子の
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チョコとさきいか、柿の種以外を完食。



こいつときたら(爆






最後まで(汗








お母さんの思い出に浸る予定が







息子の愚行に呆れる結果に(笑)






でも、お母さんはきっとそんなあたしたちを見て
ニコニコと笑っていることでしょう。





お母さん。





今日の乳がん検診。





異常なかったよ。





これからもずっと、ずっと。







見守ってね。








お母さん、大好き。







ありがとう。












あなたを忘れない。
$Never surrender ~お母さんの舌癌闘病記~
今日で、このブログの本編はおしまいです。




あとは、お母さんがちょうど半月、15日間お世話になった
ホスピスの皆さんが催して下さる「偲ぶ会」のご報告のみです。










乱文なブログでした、本当に不愉快な表現もあったでしょう。
それでも思うが侭、綴って来ました。
お母さんは晒し者同然だったかもしれません。



それでも、舌癌だけでなく、癌で苦しんでいるご本人様はもちろん、
ご家族、ご友人の方々に「私達の闘病生活」を知って欲しかった。
いいところも悪いところもご参考にして頂ければ嬉しく思います。

ただ、私のお母さんの事なので、全ての方には当てはまりません。
あらかじめ、ご了承下さいませ。






そして驚く事に、誹謗、中傷のコメントやメッセージはゼロでした。
読んで下さった皆様のお人柄に敬意を示したいと思います。




が、最後にコメント欄を開けておきます。
何かあればご記入下さい(笑)



最後に、少しでも読んで下さった方、ずっと読んで下さった方、
そしてこれからお読みになられる方に、心から御礼申し上げますと共に、
皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。




ありがとうございました。








                                   きゃらちゃんく拝
24635日の人生。



満喫できたのはほんの少し。



孫が出来てこれからだった。



これから楽しんで生きられるはずだった。



そんな時に癌になった。



それでも復活できると信じた時もあった。



でも、あっという間の闘病生活。



そしてあっという間の365日。











今日はお母さんが生まれて25000日目。









生きていればお祝いできたのに。



















お母さん、ありがとう。






これからは、見守って。






そして・・・






私達がそっちへ行くのを待ってて下さい。













必ず逝くから、待ってて。
今回、お母さんの身に起こった事をいくつか書いてきました。


本当、1年かけて書いてきてもよかったんじゃないかと思う。
まじめに書いていれば本が1冊出来そうなほど。

でも、他のものも中身が濃いモノが多すぎて・・・
ある程度掻い摘んで小出しにするだけでも十分か(笑)






5人兄弟の末っ子、四男坊(父)の家に嫁いで来たから
姑の面倒見なくていいと思ったらそれは大きな間違いで、
暴言吐きまくりのばーさんと戦う羽目に。
じーさんは最後にはボケて、粗相を兄ちゃんのせいにするし。

父はあんなんだし。
借金だけでなく、「女買った」とか言うような人だし。
正しくは「お金払ってヤらせて頂いた。」でしょうが?←

長男はイケズでケチんぼで、その嫁もイケズ。
私が生まれた時に兄ちゃんをひと月預かってくれるはずが、
3週間も経たないうちに迎えに来いとか言い出すし。
こっちはこっちで父とは違って堅実に生きてるけど、
人として理解しがたい神経の持ち主だった。

次男は酒飲みのペンキ屋で、私を吃音にしてしまうほどからかった。
そのせいでお母さんは私を治すために方々走り回った。
結局、この伯父が家出をしたら吃音が治ったらしい。
私が6歳のお正月に亡くなったけど。

三男は幼い頃に亡くなったらしい。
ばーさんもかわいそうな思いしたんだけどね。


でも、ひとりだけまともなのがいた。
一番上の長女、伯母さん、M兄ちゃんの母だけ。
今は岡山の施設で寝たきりだけど、若くて元気な頃は、
私達を可愛がってくれたし、助けてくれた。
近々、顔を見に行かないとね。
私達から伯母ちゃんにお母さん亡くなった報告してないし。





それにしてもまぁ、こんな家に嫁いで来て大変だったな。









私なら逃げてる。間違いない。