多和田葉子/著「ゴットハルト鉄道」。
7月頃に青山ブックセンターで川上未映子さんの本棚、という川上さんお薦めの本を紹介してくれる素敵コーナーが設けられていて(他にも何人かの作家の方の本棚もありました)、その中の一冊です。
多分、このコーナーで出会わなければ、きっと巡りあうことのなかった本かもしれません。素敵な出会いに感謝!
表題作「ゴットハルト鉄道」の他に、「無性卵」、「隅田川の皺男」が収録されています。
かなり時間をかけて読んだりやめたりしながらだったことも手伝って、そして多和田さんの文章から匂い立つもの、纏う雰囲気が、自分にとってあまりにも新鮮で、
そのことが逆にそれらに慣れるまでに時間をとらせることになってしまったので、その世界にぐっとのめりこみはじめたのは「無性卵」の途中くらいから。
気付くと私は物語の中の<女>になっていて、<女>の目線で物語を見ている感覚が最後まで続きました。感情移入を超えた何か不思議な体験。
例えば、それを使えばある人自身になりきれるという仮面があったとして、自分は”私”を無くしてある人自身になりきっていて、そうしているうちに物語が終わったので、と誰かに突然仮面を外されて、世界が私から去ったような、そんな感覚を読後に味わいました。
多和田さんの文章には匂いまでついているよう。そして言葉の可能性を見せてくれる。
「無性卵」を読み終えた翌日の朝、緑道を歩いていると感じた雨と土のにおいに、ある一節が思い出され、またある考えがよぎると呼応するように、ある一節が思い出され、不思議な魅力と感触のある本です。
どの一文を切り取っても、心をざわめかせるものがあるけれど、とりわけ私に閃光を放った一節を「隅田川の皺男」から。
”激しさを増すほど擦り切れて無力感を呼び起こす空想の世界を振りきって、美しくなりたいと思った。”
こうして再び言葉をなぞっても、ぞくぞくするような、ドキドキするような美しい一節です。
川上さんも講演会でおっしゃっていたことで、私も以前から感じていた、”本がもたらす新しい出会い”’(例えば一冊の本を読んでも、その中に何かしら引用されているものがあって、それを辿っていくと自ずと世界が広がっていくというような)に本当に感謝です。
この世にある全ての本を、目に通すことができればいいけれど、それは到底叶わないこと。
自分が生きている間に、一体どれだけの本と出会えるだろう、そしてこんな素敵な出会いは一体幾度巡ってくるだろう、そう思わせてくれた一冊です。