気温的にはまだまだ夏は終わりそうもない毎日ですが、


朝晩に吹く風が少し涼しかったり、いろんな虫の鳴き声が聞こえてきたり、


確かに季節は移ろっていっています、今こうしている間にも!


八月も今日で終わり。


大学生のときはまだまだ折り返し地点、と余裕だったけれど、


なんでもない立場の今は、なぜか小中高生のときみたく、まさに今日が夏が終わるその日、という気持ち。


そんなわけで久しぶりにパソコンの前に座る。


とってもとってもとっても・・・東京に帰りたい。


”普通”ってもの自体が何であるのかよくわからなくはあるけど、多くの人が思い描くであろう”普通の生活”を送りたい、普通に普通のことを特別だと感じずに普通に過ごしていたい。


人が”普通”に享受できるものを享受できなかった私にとって、


”普通”であることはすごく羨ましいことであり、時には恨めしささえ感じるほど焦がれるものでもある。


たぶん、幸せの渦中にいるときほど、人はその幸せに気づかないものだけど。


隙間時間に読んだ本、読み返した本、彼氏彼女の事情にも、にごりえにも、ああここに自分がいると思って泣きたくなり、


決まって幸せな結末を迎える二次元の物語におこがましくも自分を重ね、いつかは、と未だ懲りずにどこか期待をしている自分がいるのには呆れるやら、可哀相と思うやら。悲しいね。


人に期待をすれば、自分が望む行為が与えられないとき、自分は勝手に人に失望したり、どうしてこうしてくれなかったのかと憤らなくてはいけなくなる。期待はいつだって禁物だ。


人生にも切り取り線があるなら、終わったら捨てる今日のカレンダーのように、自分の全部を捨てられたらいいのに。