かつては一番好きだった季節である春が、一番苦手な季節となってしまって早数年。


桜の花は大好きだけど、毎年、見るたびに同時に胸がつーんと痛くなるのです。


が、今年はあんまりそれがなくて、ほっとするような、不思議なような。


正直、心が麻痺してるのだろうなぁと思います。


痛くたって、痛みは痛みとして感じられるのが心の正常さってものだ。


先日、無事に卒業式を迎えることができたのですよ。


夢のような、それまで生きてきた月日を何倍にも濃縮したような、ほんとにいろんなことがあった四年間でした。


当日も、あまり卒業という感じがしなくて、けれど早くも卒業式から三日が経とうとしていて、


何よりも、同級生たちが四月から新生活をスタートさせるその準備や緊張感から、あぁこの日々が終わるのだな、と実感させられるような気がします。


学生、という肩書きを失うだけでこんなに不安になるなんて。


それまでだってこれからだって、私が私であることに変わりはないのにね。


卒業式のために上京してくれた母を見送り、地元で就職する友達を見送り、


足を運んだ品川駅のホーム。


誰かを見送るのはいつだって切ないなぁ。


勝手に置いていかれた気分を味わってみたりして。


もうとうに焦りの向こう側へ行って、それでも醜くもがくけれど、なんとか人間らしくいようと、少しでも自己嫌悪する要素を減らそうと、せめての早寝早起きとか。


レベルの低い足掻きですが、そんなこと一つでも、どこまででも落ちられるのだから、せめてと思いたい。


それからパソコンに向かう時間が減りました。


これは常々いらん時間を費やして・・と思っていたことなのでむしろ好ましいか。


ちゃんと朝起きてると、なんとなく思考も落ち着いている気がしているけれど、


でも静かにドキドキしているというか・・静かに震えているというか・・・


年度末に自殺する人の気持ちがなんだか切実にわかりそうな、そんな三月末。


ただ、自分はどんなに死にたいくらい限界を迎えても、結局そんなことは出来ない、ある意味幸福なしぶとさと、恐れを持ち合わせているので、たぶん、これからも不可抗力にでも侵されない限り、私は生きていくんだろうな。



最近レミオロメンの「太陽の下」という曲に依存。


以下に異常に感情移入してしまう歌詞抜粋。



時々僕たちは只々続く日々に嫌気がさし


遠くのランドマーク 細い目をして見上げ過ごしている



焦ったりして 取り残されたりして


朝が来るたびに 夢から覚めるんだ



無くした心の隙間に


あなたの笑顔が広がって

音もなく涙こぼれたんだ


深い悲しみの海では


どんな歌さえ響かないよ

もしもあなたに会えないなら



風の中で落し物した


花火の上に月明かりがぽっかり空いた


僕らはただ それを見上げていた



深い眠りから覚めたら もう少し素直に生きたいよ