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「おひとりさまの老後」で知られる、上野千鶴子先生の本。


美術手帖で松井冬子さんが影響を受けた本の一冊にこの本がとりあげられていて、興味をもちました。


何を隠そう、この本こそ私が最近いろいろと影響を受け、考えさせられたり、またこの中で出会った本にも影響を受け・・・という最近の自分の軸になっていたといってもいいかもしれない、そんな一冊です。


上野先生の語る言葉は、全部根拠があってそれから自分が思うことを述べられているので、すごく理詰めされているというか、納得させられる部分も多かったです。


それから問われなければ、おそらく自分で疑問にも抱かなかったであろうこと。


私のセクシュアリティとは何か?


上野先生も言われているとおり、私も「強制異性愛」の中にいて、しかもそんなセクシュアリティという一見プライべートに見えることが、女性にとっては社会(男性)というものが先にあってその中で隠蔽されていく、というところは本当に目から鱗でした。


都市は人間を単身者にする、という話にもうなずかされました。


上野先生は問います。


『二〇世紀末の個人は、だからつかみどころのない「恋愛」だけを求めている。「恋愛しない女」の脅迫は、「結婚しない女」でいることよりももっと深く個人を脅やかす。それは近代主義の脅迫にすぎない、とさっさと「悪魔祓い」して、ひとりでも完全、と『シングル・セル』でいることがなぜできないのだろう。』


この言葉を聞き、恋愛はおろか、日常における人間関係さえ楽にはこなせない私はなぜだかそんな自分でもいいと肯定してもらえたような気がして、すごくほっとしました。


誰といても恋愛の話が話題に上ります。


その大抵で「人を好きになることができない(恋愛感情という意味において)」という自分と同じタイプの人と出会うことはまずありません。


「彼氏作らなきゃ」 「結婚しなきゃ」 「子供を産まなくちゃ」


みんなが口を揃えて言います。


けれど、私にはそのどれもがそれを欲しがる人にとってまるで一時の寂しさを紛らわすおもちゃや、果てはステイタスを示すアイテムであるかのように感じられることがあります。


私は自分が欲していないのだから、今はそれでいいんだと自分で納得していても、「それっておかしい」と揶揄するのは「世間」です。


「彼氏がいない」ことはそんなに異常でしょうか?


「結婚しない」ことはそんなにダメなことでしょうか?


「子供を産まない」ことは悪いことでしょうか?


母は言います、「今はまだ若いからそんなことが言っていられる。いつかいい人と出会える。」と。


確かに五年、十年先の自分が今の自分と全く同じ考えでいるとは到底思えないし、今の自分の考えを覆してでもこの人だ!と思えるような人と出会うことができたらそれはとてもラッキーなことだと思う。


ただ、だからと言って、必ずしも答えは「いるか」「いないか」、「あるか」「ないか」の二択ではない、と今の私は思うのです。


ひょんなことから恋愛のことについて思い悩むにあたり、どうして私は「普通に」人を好きになったり、「普通に」好意に応えることができないのか・・・ということをずっと考えていました。


好意に報う努力や、人を好きになる努力が必要な気がして、(努力して人を好きになろう、という考えがそもそもその人の好意に対して誠実さを欠いていることになるにも関わらず・・・)もっと「普通」になる努力をしなくてはいけない気がして。


その答えが欲しくて、本の中に答えを求めています。


まだまだそれは模索中ではあるけれど、この本は私が欲していた以上のものを与えてくれた気がします。


男性の視点から読むとこの本はどう映るんだろう?


女性の方にはぜひ一度読まれることをおすすめしたい一冊です。