許浚博物館の続き
東医宝鑑は、国宝第319号
ユネスコ世界記録遺産になっています
東医宝鑑の構成
目次 …2巻
内形篇 …4巻
外形篇 …4巻
雑病篇 …11巻
湯液篇 …3巻
針灸篇 …1巻
全25巻からなっています
韓国で手に入る薬材が637種類を利用しやすいように、ハングルで表記
東医宝鑑の執筆は許浚が、総括責任者となり始められ、慶長の役で中止となり
その後宣祖は500巻の医学書を与え
許浚が単独で編纂する
宣祖が防御されると 主席侍医の許浚は配流の身となるが、その試練は医学書の執筆に多くの時間にあてることが出来たようです。
光海君により1年後 再び侍医になります
1590年に光海君の天然痘を完治させ
その実力が認められているので、光海君の お気に入りだったのかも しれません
日本にも、徳川吉宗の時代に入ってきた複製本があるそうです。
日本語の許浚の本も展示されていました
医女制度は、1406年 太宗6年に ホ,ドの申し出により実施
王室女性の病気の治療をしていました
屋上は、薬草園になっています
お散歩できるようになっていました。
許浚の お墓も1991年にアメリカ在住の古文献学者が軍部の協力によって発見されているそうですが………
博物館のある場所は、許浚が生まれ、東医宝鑑を執筆し晩年を過ごした場所のソウル江南区です。