monologue season3 -7ページ目

monologue season3

car2ya の blog を暫定オープン中

いつも撮影していた場所は『 熊本市災害ボランティアセンター 』になっていた。



撮影は 5/3 だったので、たくさんの人で行列になっていた。 現在この場所は6/30で閉鎖されて、通常モードで各種イベントが開催されています。

熊本市災害ボランティアセンターは、植物園駐車場に移転統合されたそうです。 pdfファイルへのリンク
あたしは毎日ここの横を通って出勤していましたが、頭の下がる思いでした。 みなさん、ありがとう。
4/14のゆうたクン・・・地震前の母の日バージョン。 撮影は地震発生の12時間前の午前9時頃です。
黄色のカードには『 小学生の女の子達が手作りプレゼントをくれたよ ありがとう (*^_^*)  』



あたしも被災したのでその後やっと撮影したのは、5/3



ブルーシートがあり、郵便局も被災している事が分かります。 写真は被災前の熊本城と、阿蘇神社!



別角度・・・そう、みんなの合言葉です。 がんばろう 熊本 負けんばい 熊本。 道産子のあたしは、がんばるべ、熊本 ^^;
4/23 より引っ越し作業開始・・・と言っても、デカもの家具・家電のみ赤帽さんでしかも予定は4/26。 それまでは、チマチマとジムニーで運ぶしかないのです。



当面使わないモノを最初に運ぶ・・・熊本自体が被災中の為、旧自宅にある箱類で繰り返し運ぶしかないのです。。。



4/24 には、Nちゃんが手伝いに来てくれてかなり捗った。 食料事情も上向きで、久々の野菜サラダ。



夜はほか弁が多いが、昼食は回転寿司、リンガーハット、COCO壱等の外食チェーンが営業が始まり、ありがたい。 きっとみな被災者なのにだ。



熊本の老舗ホテルである、ホテル・キャッスル・・・ひび割れが目立ち痛々しい・・・。



一部屋はほぼ物置状態です。







新居は旧宅よりも収納場所が少ないので、廃棄物も大量に出ました。



渋滞中の埋め立て処分場への道。



こちらは、可燃物の処理場。 ありがたい事に、特別措置の減免(無料)!。 都合それぞれ2回づつ通いました。

さて・・・4/30 旧宅の引き渡しの日です。 大家さんとの約束の時間になんとか間に合いました。



この風景が好きで、夏暑く冬寒いこの家に、新婚以来16年間も住んでいた。
この全面ガラス窓は、北東向きだ! 冬の寒さは格別・・・その代わり、見下ろすと井芹川。 アオサギのピエール(あたし達夫婦は、眼下の川に住んでいたアオサギをピエールと名付けていた)ともお別れだ。



旧宅の無駄に広いリビングは、16畳くらいはあろうか・・・
反対側の南西向きの窓も全面ではないが、2/3は窓だ。 調度良い角度で差し込む西陽のお陰で、エアコンは3台目。 断熱の概念の無い頃の薄い壁との相乗効果で、灼熱の夏を演出してくれた。 エアコンの無い南西向きの寝室で寝るなど、事実上不可能。 寝室は物置と化し、今回の地震の影響で大量のゴミを排出した・・・。



思い出は詰まっていますが、2016/4/30に退出。 ありがとう

5/1 新居の水道が復旧。 ライフラインはこれで、新居の電話以外は復旧しました。

さて、熊本地震備忘録はこれで完結。 5/2より、職場復帰。 5月から普通の生活に・・・と思っていましたが、罹災証明・転居手続き・地震保険の請求・・・と事務処理的モノが山積。 なんとか、普通になったと思えたのは7月になってからです。 それでも、たまに、強い余震が起こりますし、雨多すぎです。 怪我なく生き残れたのでヨシとします。

電気○ 水・食料○ 水道○ ガス○ 電話× ネット× ネットと電話が開通したのは、6/2になってやっとでした。
4/21より、転居先を探して、三日目に新居を契約、鍵をゲットした。 全てがドタバタで、熟考している時間なんて無い。 人生で初めて、車のボンネットで契約書にサインした。



ゴミ捨て場は、災害ゴミの山。。。この後あまりの量の為、月末にかけては行政側から制限がかかった。



この頃はこれが普通の光景・・・危険度が高い、通行の邪魔になるなどの優先順位で、順次撤去されて行ったようだ。



傾いた自宅で余震も強烈・・・引っ越しが完了するまでは、夜は被害の少ない市内北部のNちゃん宅に居候する事になった。

その頃の食べ物・・・4/20 避難所仲間でご近所のSさん(外国人)から、差し入れのアツアツのクリームパスタ。  沁みた。。。



4/21 昼 無線米、カップうどん、コロッケ、野菜ジュース



4/21 夜 Nちゃん宅側のスーパーの惣菜メイン。



4/22 昼 吉野家さんが、持ち帰り限定オープンしていた。



4/22 夜 確かPさんからの差し入れ



圧倒的に野菜不足ですが、引っ越しは待った無し! デカものだけなんとか赤帽さんだけど、他は全部自分でやるしかないのです。。。

電気OK 水・食料△ 水道△ 風呂× 但し、自宅は傾いたので、引越し先決定 但し、引越し先でも水は×。

4/20 余震の続く中、地震後初めて自宅で一晩を過ごした・・・怖かった・・・。
本日は、朝からスーパーに並んだ。 避難所の頃からだが、地震後は夜明けと共に起きている。 そんな中、近所のスーパーが営業再開してくれた。 ありがたい。 店内は床が割れていたりで決して万全ではないが、とにかく感謝です。



その後は、自宅の大家さんとの話し合い・・・結果、転居決定! 直ぐに家探しで動き出せば、なんとか見つかるだろう・・・その後は、入居可能な物件が極端に減り値上がるとの予測だそうで、急遽探す事になりました。。。まずは住宅情報誌のゲットから・・・まずそれがなかなか見つからず、数件コンビニを周りやっとゲット!!
良さ気な物件をヨメに見繕ってもらう・・・引っ越しが決定したので、片付けはソコソコで良いとの結論。 久々に、午後は一人で出かけてみた。。。ちょっと熊本城まで。。。

2013/5/17 戌亥櫓


2016/4/20


角の石垣でギリギリ支えられている、戌亥櫓。 同じ状況は、飯田丸三階櫓でも起きている・・・。

2013/5/17 東十八間櫓(重要文化財)


2016/4/20 無残


見る程に、爪痕は深い・・・だけど、既に直された場所もある。



間違い無く、少しづつだけど、復旧は進んでいる。

電気OK 水・食料△ 水道△ 風呂× 但し、自宅は傾いたので、引越し先模索中。
4/18の夜から避難所では、夜間消灯が始まった。 明るいと眠れないが、暗いと夜間にトイレなどで起きた人が転んだりで、そのさじ加減が難しそうだ。 その為、真っ暗と言うワケではなく、天井の照明の端の一列だけは、点灯していた。

さて、4/19・・・自宅を片付けねばならない・・・今後住めるのかはまだ分からないけど、片付け始めないと先に進まない。

一番の問題はやっぱり水。 やっと出たが、真っ赤・・・後で聞いたが熊本の水道水は地下水を消毒しているが濾過はされていないので地下水の濁りがそのままだそうだ。。。これもいつまた止まるかは不明。 取り敢えず、風呂に溜めるが飲用不可だ。。。その後結局、また断水・・・。



昼食は昨日と同じ、『 弁当のヒライ 』。 満腹だ。 道路はあちこち寸断され、迂回に迂回を重ねて辿り着く。 災害派遣の自衛隊の車両を目にする機会が増え、心強い。



近所のクリーング屋さんでは、地下水が開放されていた。ありがたい。



バケツ一杯を、20分ほど並んでゲットするが、トイレ一回分なのだ。 水の大切さを痛感。 大量の水は持ち歩けないのだ。

さて・・・4/16 少しの段差だった場所は、



激しく陥没。 地中で水が流れているので、地下水道管の破損と認識。 ネット経由で水道局に連絡。



きっと、この様な箇所がいたるところで発生しているだろ・・・。

自宅で寝る場所は確保出来たので、余震は続いているものの自宅に戻る事にした。

・取り敢えず断続的だが水道が出る事で、トイレが使える事
・避難所で隣に陣取ったグループが、犬三匹一緒であまり気遣いの無いグループだった事
・一番近い避難所でノロ発生の知らせもあり、ペットのいるグループの側は避けたい事

取り敢えず自宅で一晩寝て、どうするか考える事にした。

自宅に戻り、電気OK 水・食料△ 水道△ 風呂× 但し、自宅は傾いた。。。
4/14 前震 4/16本震 で、4/18はなんだかんだ被災して5日目。 この頃になると、地震酔の自覚がある。 頭痛は無かったけど、常に揺れているような感覚と、平衡感覚が狂った感じだ。 自覚出来ないのは、自分がどの程度の被害にあったのか? 未だ謎なのだ。



避難所も自宅も、水がアウト。 でもトイレは待った無し。 近くの小学校の避難所のプールまでバケツを持って汲みに行く・・・または、ローリータンク &軽トラで運ぶ・・・いずれかで水を確保していた。 いずれにしも人力だ。 避難所より『 動ける人は手伝ってください! 』のアナウンスがあるので、動けるあたしは参加。



実はお仕事は3連休と事前にとっていたので4/18から仕事の予定だったが、仕事どころではないし、会社も被災しているし・・・会社からの支援物資だけ受け取りに行って来た。



他にペットボトル6本と、缶パンだったはず。 後日、おこわは湯で戻して食べました。 美味でした。



午前中は自宅に戻り片付けに手を付け始めるも、惨状と言ってよいので遅々として進まず。 ここはあたし用の作業場なのだが、エースとピーターの下に、ギターが1本。 でも辿り着けない。

さて、避難所では弱者優先なので、あたし達はご飯は自分達で確保しなければならない。 地震後に料理している匂いを全く感じなくなっていたが、遂に温かい弁当にありつけた。



まず必要なのは、車に給油・・・幸いな事に10分並べば給油できた。 バイパス沿いを進むと、『 弁当のヒライ  』営業中! そのご飯の超大盛り具合と、あるモノでなんとか調理したシンプルな弁当で、泣けて来た。 みんな頑張ってる。 駐車場では隣に、佐賀市水道局の車。。。助けに来てくれた。。。更に泣けた。



昼食後は、水が出ると言う、ヨメの上の娘宅に風呂を借りに行った。 場所は震源地にけっこう近いので、被害がひどい・・・。 道はあちこと凸凹で、電車もストップしていた。 やっと3日ぶりで、風呂にありつく。



避難所に戻り、夕食。 生前、晩白柚さんが『 なんかあった時に食べて 』といただいたものだ。 ホントに賞味期限ギリギリで。その時がやって来た。。。晩白柚さんはおいしいから選んだらしいのだが、本当においしいおこわだった。

毛布・電気OK 水・食料△ 水道× 風呂1回OK
話は若干戻るけど、4/16には熊本日日新聞の号外が避難所で配られました。 避難所での情報は、スマホのある人はスマホでネットなのだろうけど、無い人は限られる。

1. 事務所受付付近にTVが一台。 恐らく職員用を、被災者側に向けて視聴できるようにしたのだろう。
2. 号外以降、熊本日日新聞が、毎朝限定部数が無料で配られる
3. ラジオ持参で、聞く(あたしだ)
4. ガラケーなどでワンセグ(あたしだ)

こんな感じで実は、被害状況などは、全国のお茶の間の方が詳しかったと思われます。



さて、4/17 早朝。 今日は食料を確保しないとならない。 4/16は一緒に避難した、Mさんカップルの冷蔵庫からの食べ物で、なんとか食べ物にありつけたけどずっとと言うワケにはいかない。 なおかつ、あたし達4人(あたし達夫婦とMさんカップル)の隣に老夫婦が2組いて、なんとなく班の様な雰囲気になってしまっていた・・・。

さて、目指すのは県北部の長洲町、ヨメの友達のPさん宅。 被害が少なく、水道OKでスーパーも営業しているらしい。 30~40kmくらいの距離である。



熊本市郊外のコンビニでは、食料はほぼゼロ。 熊本市から、30kmくらい離れた、ファミマでやっと、オニギリと鳥の唐揚げにありつく・・・泣けて来た。 更に進むと、ヒライ でも更に、オニギリ確保。 コメリ で、電気ポットをゲット。 水用の白タンクは売り切れで見つからず、バケツ2個と、漬物用ビニール袋と柄杓で代用する事にした。



長洲のロッキー にて、大量のカップ麺、ペットボトルの水、無洗米9kgを購入。 Pさん宅で、水道水を貰い受け、戻る。 これでほぼ一日が終わった。 避難所に戻ると、ご近所の飲食店からの差し入れにもありつけた。 ありがたい。




毛布・電気OK 水・食料△ 水道× が、4/17夜の状態だ。 風呂は夢のまた夢・・・。
被災してみると、どうしていいのか実はよく分からない。 避難所のは有料? 無料??? 取り敢えず、ヨメも含めて記帳した。 後で分かったのは、この養護施設は正規の避難所ではなく、臨時なので受け入れ側も手探りらしいのだ。

今あるもの・・・水・缶パン・毛布1枚だ。 当面必要なものは、家に戻って探そう。 幸いな事に、施設が新しい事もあり、電気はOKだ。 ワンセグは見られる。



あたしからの目線だと、こんな感じ。 仮眠して思ったのは、、、眠れない。。。

1. 電気は24時間点きっぱなし(当時の運用です)。
2. 体育館なので、誰かが歩くとやたら響く。
3. そこかしこから、いびきが聞こえる。 真夏の田んぼの、カエルの合唱のようだった。

余震は続くが、自宅に一時帰宅した。 当面必要なモノを探す為だ。



固定していないモノは、倒れまくり、固定されたモノは、中味が飛び出し、キャスター付きのモノは、自由に動いていた。



居間ではキャスター付きの家具が多く、壊れたモノは意外と少な目。 寝室では足元にモノが散乱したが、幸い怪我はなかった。 なんとか、車のキーと毛布と手動発電のラジオを避難所へ持ち帰る。 直ぐに食べられる食べ物の在庫は、ほとんど無かった。



自宅の外階段の基礎には、大きくヒビ。 自宅は、電気・ガス・電話・ネットOK 水道×・・・但し、川沿いなので、川方向に傾いてしまった・・・。 自宅で過ごすのは危険なので、避難所に戻る事にする。



いたるところで、道路の地割れ。



この場所は地下で水道管が破損していて、後に大きく陥没する事になる。

避難所に戻ると、実はあんまりする事は無い。 夜がとても長いのだ。 食料は隣のカップルから、果物とパンを分けてもらいしのぐ。 こんな時、リンゴは重宝だ。

毛布・電気OK 水△ 水道・食料× 明日は車を動かし買い出しだ。 目標は、県北部の長洲町。
4月16日1時25分・・・後で知る事になるが、こっちが本震。 寝込みを襲われました。 恐らくだけど、激しい揺れの直前に、目だけは覚ましたと思う。
前回よりも激しく長い・・・隣でヨメがひきつった顔で耐えている。 震度6強・・・『 立っていることができず、はわないと動くことができない。揺れにほんろうされ、動くこともできず、飛ばされることもある。 』・・・その通りです。 轟音の中、何も出来ない。 一旦停電したが、復旧は早かった。 揺れが一旦収まったので、外に逃げる。 近所からも、人が出て来る。 車のキーが見つからず、アパートの隣のカップルの車に便乗し、避難所まで逃げた。 途中、濁った川の橋を渡るのだが、津波の可能性もあり渡るのが怖かった。



また避難所・・・前回は小学校だったが今回は、養護施設だ。 比較的新しいので、エアコンまである。 マット・水・缶パンを確保、壁際に陣取る。 時間を追う毎に人が増えて行く。

隣に陣取った老夫婦に声を掛けると、ご主人が『 頭にタンコブ、鎖骨骨折 』の様子。 目の前の怪我人にビビるも、初めて『 医療関係者はいませんか? 』に遭遇する。 救急車は無理なので隣のカップルの彼氏が車で病院搬送。 数時間後、入院は無理なようで、サポーターで固定されて、戻って来た。

もう朝だ・・・食料・水 OK



今必要なのは、睡眠。 自分のスペースは畳半分くらい。。。少しでも寝よう。