タイトルだけを読んで、

「何っ😨😠」となった方がいると思う。

 

実は昨日ある会合で、

あちこちの行政が中心となり使っている

「認知症の人にやさしいまち」や、

「認知症サポーター」という言い方は、

改めたほうがいいという話が飛び出した。

 

真意はこれらの言い方の背後には、

“手を差しのべる”という

一方向からのニュアンスが、

濃く反映されているということだった。

 

そのことが知らず知らずのうちに、

認知症の人の自主性や尊厳を奪うことに

繋がり兼ねないという意味あいだった。

 

もう少しわかりやすくいえば、

可哀そうな人、助けてあげる人という

認識を生み兼ねず“伴走”や“自分事”の視点

欠けてしまうということだった。

 

そこで伴走や自分事の視点に立ち、

「誰もが安心して認知症になれるまち」や、

「認知症パートナー」

言い換えるべきという話になったわけである。

 

 

サポーターという用語は、

「助ける人」「助けられる人」という

境界を生んでしまっているかもしれない。

 

昭和50年代の食品メーカーのCMで、

「私作る人、僕食べる人」というコピーが、

ジェンダー上の問題になったが、

明日は我が身の認識があれば、

「助ける人」「助けられる人」という

ニュアンスを含む言葉の一考は必要だろう。

 

「認知症パートナー」以外では、

「認知症フレンズ」なんてどうだろう?

そうすると「認知症サポーター講座」は、

「認知症フレンドシップ交流会」となって、

医学っぽい説明も変わるかもしれない……。