一昨日の「母の日」

鉢植えのカーネーションばかりで、

花屋で切り花はほとんど見かけなかった。

鉢植えだと血管性認知症の母を看る

父の手を煩わすので花は諦めた。

 

話は、アメリカの南北戦争のころに遡る。

ジョン・デンバーの「カントリーロード」の

歌詞に出て来るウェスト・バージニア州で、

南北両軍関係なく、中立的な立場で、

負傷した兵士の看護にあたった

ボランティア団体の女性たちがいた。

主導的したのがミセス・ジャービス

牧師の妻でもあった。

 

戦後は敵同士を結ぶ「母の友情の日」として、

州内で様々な催しを行い、

慈善活動や平和推進活動に尽力した。

 

ボランティア団体をつくり、

母の立場から社会課題に取り組んだ

実母の追悼会で、娘のアンナ・ジャービスは、

参列者にその平和推進活動を称え、

好きな花・白いカーネーションを配った。

それは徐々にだが、広がって行った……。

 

そして1914年、アンナの母親が亡くなった

5月の第2日曜日を、

ウィルソン大統領が「母の日」に制定した。

 

 

白いカーネーションから始まった活動は、

平和を願う母親たちの社会運動だったが、

のちに商業利用されるようになると、

アンナは慈善精神と平和への願いが薄れ、

金儲けの手段となった「母の日」に猛反発し、

自身の後半生を反対運動に費やした。

 

「母の日」創設の立役者は、

理念が薄れた「母の日」の反撃

全財産を使い尽くしたうえ、

認知症にかかり療養所で亡くなったという。

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ちなみに白いカーネーションは亡き母、

赤いカーネーションは健在の母に贈られる。

皮肉なことに今年の「母の日」も、

アンナの想いに反した日となってしまった。

 

母への感謝とともに、

恩讐を超えた平和にも感謝し祈念したい……。

 

▲「母の日」前々日、携帯キャリアの特典クーポン利用で、両親が好き

なローストチキンが届きました。母の食が細っているので、好きなもの

なら食べるかもしれないと思い、カーネーション代わりに届けました!