奥様がアルツハイマーか、

レビー小体の可能性があり検査入院中だが、

「どうしたらいいだろう?」と悩んでいると、

ご主人からコメントが届いた

まだ診断結果が出たわけではないが、

不安だけが湧き上がっているのだろう。

 

そこで若年性のアルツハイマー病と、

妻が診断されたころのこと

改めて振り返ってみることにしよう。

 

妻の診断結果が出たのは54歳のときだった。

いまから5年前のことである。

初診から20日後に診断結果が出た。

何をどうして良いのか判らなかったし、

病名が判ったとはいえリアリティに薄かった

 

一方、当事者である妻は、

自分のアルツハイマーを受け入れなかった。

受け入れるまでに1年余の時間を要した。

だから、認知症のセミナーに連れ出しても、

まるで他人事で反発のほうが大きかった。

 

リアリティが薄いなかでも、

3つのことに対応することになった。

まず診断結果が出たときに、

脳神経内科の主任看護師さんに、

「自立支援医療受給者証」の取得を勧められ、

役所に足を運び、翌月に取得した。

 

申請には医師の診断書が必要なので、

その受け取りに時間が若干かかったが、

翌月の受診から1割負担となった。

アルツハイマーの治療にかかわる

処方箋薬局での薬代にも適用された。

 

次は妻の通院同行と薬の管理が、

僕の大事な役割となった。

近い場所なので妻ひとりでも、

大学病院への通院は可能だったが、

医師の話を聞く必要があるため、

同行せざるを得なかった。

 

 

当初は2ヵ月に1回のペースだったが、

平日のため有休を取るしかなかった。

大学病院は時間がかかるため、

半休では収まらないことが多かった。

 

そして3つ目に行ったことは、

妻名義の銀行口座の整理と、

メイン口座がオンラインでも、

利用できるようにすることだった。

 

妻は派遣社員経験が長く、

派遣先に合わせた口座がいくつかあり、

同じ銀行でも複数の支店の通帳を持っていた。

それを原則1行1口座にし、

可能なものはすべて普通預金にした。

 

この手続にも迂闊な発言を避けるため、

半休を取って同行する必要があった。

「認知症のニ」の字を告げようものなら、

口座が凍結されてしまうからだった。

 

診断結果が出てから、

上記のことは2ヵ月半程度で行ったが、

これは単なるスタートでしかなかった。

介護離職に繋がるようなことが起き、

さらに妻のメンタル面の葛藤も激しくなった。

 

これについては取材を受けたし、

過去ブログでも書いてきた。

診断結果は、妻のきょうだいには告げたが、

僕の両親には、約3年隠した。

母が血管性認知症を発症していたので、

簡単には言うことができなかったのだ。

 

▲東京の標本木がある靖国神社。本殿裏の池畔のソメ

イヨシノは、写真のように見事な咲きっぷりでした!

 

▲同じく靖国神社内で見かけた陽光の花びらでつくられた♡マーク。

元教師が戦場に散った教え子たちのことを思い、慰霊と平和の願いを

こめ、25年もの歳月をかけてつくられた品種ということです