本日は昨日ブログの延長線上にあるテーマとなります。
昨日のブログでは、
伴侶に先立たれ残されたときの寂しさと、
施設入所や長期入院で離れ離れの寂しさには、
似ているところがあるということを書いた。
だがそれは残された側の見方で、
反対の立場からだと、
かなり見解が異なるはずである。
黄泉に先立った大先輩と、
入院している妻とではさらに違うだろう。
妻と面会しているとき、
最近では僕自身や僕の名前に、
ほとんど反応しなくなったのが気になっている。
2度目の入院をする1ヵ月半前、
「ぽっちは厭だ」と言ったことがある。
きょうだいの中で賑やかに育った妻は、
ひとりでいることへの耐性が弱かった。
対面での面会が可能なった2022年12月、
発語を取り戻した覚束ないの口元から、
「寂しかったの」という言葉が出たのを、
いまでもはっきりと覚えている。
昨年4月の面会の際には、
言語化しづらくなった妻から、
「かえいたいの(帰りたいの)」と言われた。
だがその翌月のGW明け、
新型コロナが5類になった煽りで、
院内クラスターが発生し半年にわたり、
一切の面会できなくなってしまった。
モニター越しの面会すらなかった。
以前は僕と会えないときでも、
「keroぴょんは?」と尋ねていた妻は、
院内クラスターという事情を理解できず、
僕から見放されたと思い込み、
心を閉ざしてしまったのではないだろうか?
そうすることで精神の崩壊から、
自分自身を守ったのではないだろうか?
命を守ることと、
希望を失うことを天秤にかけた場合、
若年性認知症の妻にとって、
どちらがより大切なのだろうか?
認知症医療と人間の尊厳のバランスは、
ちっぽけなウイルスにより崩れてしまった。
大切なものの優先順位が変わってしまった。
「会える」という希望が突然絶たれた妻は、
屍になったのも同然ではなかっただろうか?
対面面会で発語が増えた妻だったのに、
押しつぶされないようにするために、
僕の存在を消し去ったのではないだろうか?
そして僕を「気にしなくなる」ことで、
妻の寂しさは消えたのかもしれない……。
のちソース!
冷凍のチリ産生うにが割引価格で540円だった。小ぶりだが買った。3分の2は、醤油とわさびで食べたが、残りはウニソースにしてみた。つくったことはないが思いつきで、スプーンの裏でうにを潰し、温めた豆乳とバターと混ぜ合わせたら、ロゼワインを加え、火にかけアルコールを飛ばした。
ソースは、帆立のバター焼き、芽キャベツ、ブロッコリーなどの野菜にかけて食べたが、ウニのチクチク感がなくなり、我ながらよくできていたかな……。
ブログ部分で書いたことは、あくまでも僕の妄想でしかない。失認によるものと、医療関係者はいうかもしれないし、妻の本心までは判らない。ただ、妻の亡き母が特養に入ったときのことを思い返すと、思考パターンがもし似ているとすれば、あり得ることかもしれない。そうは思いたくはないのだが……。