上映回数が1日1回になってきたので、

映画『窓ぎわのトットちゃん』を観に行きました。

今日は、作品や登場する場所に関連する話題となります。

首都圏以外の方には、なじみが薄い地名が多く恐縮です。

 

 

妻がまだアルツハイマー型若年性認知症を

発症していないころから、

わが家には、古ぼけてやや黄ばんだ状態の

『窓ぎわのトットちゃん』の書籍があった。

妻の持ち物だが英訳本だった。

スヌーピーの英語本とともに、

いつの間にかどこかに行ってしまった。

 

黒柳徹子さん

小学校時代を描いた作品だが、

映画でも原作でも、トットちゃんには、

東急の大井町線がたびたび登場する。

 

東京・品川区役所がある大井町と、

川崎市の溝の口を結ぶ路線だが、

トットちゃんが小学校を退学となり、

自由が丘にあった私立のトモエ学園

通いはじめたころは、

大井町と二子玉川間を結んでいた。

 

『窓ぎわのトットちゃん』(講談社刊)

 

keroぴょんは、

この沿線に住んでいた時期がある。

は大井町線の電車に乗り僕に会いに来た

 

派遣社員として、

あちこちで働いた経験のある妻は、

トットちゃんが、トモエ学園の散歩で行った

九品仏浄真寺の門前近くの事務所で、

3ヵ月ほど働いていたことがあった。

 

境内には閻魔さんがいて、

秋になると色づいたイチョウが綺麗なお寺だ。

そのときのランチ仲間が、

今年も妻宛てに年賀状を送ってくれたが、

僕は妻に連れられて、

商店街のお店でランチをしたことがある。

 

飯盒炊飯でトットちゃんが

出掛けた等々力渓谷は、

僕が借りていたところから徒歩圏内だった。

終点の等々力不動尊まで妻と歩いた

お寺には滝があるのだが、

水はチョロチョロでほとんど出ていなかった。

 

トットちゃんの家があった

北千束近くの洗足池公園にも二人で行った。

勝海舟のお墓や記念館が隣接しているが、

桜の名所で、花見シーズンになると屋台が並ぶ。

妻とはもちろん桜の季節に散策した。

 

映画を見ながら、

いろいろ場所が出てくるたびに、

そんなことを想い出してしまった。

 

入院中の妻は丸2年

咲き誇る桜を見ていない

次の春もおそらく見ることはないだろう。

桜を追っかけあちこち行ったが、

今春も見せてあげられないのが悲しい。

 

 

    

続編も読んでみた……本

 

 

映画を見る前に、昨年10月に刊行された『続窓ぎわのトットちゃん』(講談社刊)を読んでみた。いま続編が出されたのには、黒柳徹子さんから戦争を知らない世代に向けたメッセージが含まれているのかもしれない。

続編の中で、香蘭女学校の先輩だった兼高かおる(本名・兼高ローズ)さんが、学校を訪れたことが書かれている。

その話の冒頭に「ララ物資」という言葉が登場する。Licensed Agencies of Relief in Asia(アジア救援公認団体)の頭文字の略称である。作品の中では、アメリカの宗教団体や慈善団体によって集められたと書かれている。

「ララ」とは、終戦後の昭和21年11月から同27年6月まで行われた支援物資事業で、食糧、衣料品、医薬品等がアメリカだけでなく多数の国家をまたがり、民間からの資金や物資提供で行われた。当時の金額で400億円規模、援助物資の20%は、強制収容所で苦労した日系人が集めたものだったという。

この食糧の中には、keroぴょんが小学校1年のときに給食で出されて飲んだことのある脱脂粉乳が含まれている。、味の面で、評判はすこぶる悪かったが、昭和40年代まで残るほどの量だった。

横浜の赤レンガ倉庫とハンマーヘッドに挟まれた商業施設・Marine & Walk前には、ひとつの碑が立っている。昭和天皇の皇后だった香淳皇后(良子様)が詠まれた御歌が2首刻まれている。

昭和24年10月19日、救済物資が納められた三井物産の横浜支店倉庫に、昭和天皇と行幸啓されたときに詠まれたものである。

 

ララの品つまれたる見て

   とつ国のあつき心に

        涙こほしつ

 

あたゝかき とつ国人の

        心つくし

   ゆめなわすれそ時は

         へぬとも

 

 

トットちゃんから、思わぬ方向に話が広がってしまった。

黒柳さんといえば『徹子の部屋』が、代表的な長寿番組。keroぴょんは、一度だけ収録現場にお邪魔したことがある。いまから15年ほど前のことだが、テレ朝と縁の深かったある作家さんを番組にプッシュするのが、そのときの仕事だった。アークヒルズのスタジオだったが、1回2本撮りをこなしていた。番組だけでなく、パワーの面でも長寿の見本にしたい方だと思う。