今日は、年末の大掃除の話をしたい。
大掃除といっても、
自宅ではなく実家の掃除なのだが、
母が脳出血による後遺症で体が不自由で、
しかも血管性認知症であるため、
ふだんは90歳台の父がひとりで、
床のクリーンアップを行っている。
フルーツを食べた母が、
ベトベトとした手で彼方此方を触り、
涎をフローリングに垂らすので、
ダイニングやキッチンの掃除は、
日ごろからこまめに行われている。
だが僕が今回担当した2階は、
寝室や書斎のためベタベタ感がなく、
下のフロアほど頻繁には、
掃除が行われていなかったみたいだった。
なぜわかったかといえば、
鏡台やテレビ台の裏、トイレの後ろ側に、
埃が積もっていたからだった。
父の年齢的にも細かいところまでは、
追いつかなくなってきたのかもしれない。
そこで3つある部屋とトイレ、
廊下、階段の雑巾がけを中心に行った。
さらに階下のトイレ、玄関のドアなども……。
掃除もそろそろという時間になって、
水仕事でふやけてしまい、
手の皮が剥けてしまったので終了とした。
ふと気がつくと、
2階の額縁の中の日本画が、
ずっと換えられていないことに気がついた。
亡くなった母方の祖父は、
京都の竹内栖鳳に師事した日本画家だった。
だから家には、
祖父が晩年に描いた作品が何点かあり、
以前は季節ごとに絵を入れ換えていた。
それが夏に飾る絵のままになっていることに、
いまさらのように気づいてしまった。
もう何年換えられていなかったのだろうか。
おそらく母が倒れた7年前くらいからだろう。
そこで季節に合わせて、
福寿草を描いた絵を飾ることにした。
止まっていた季節が、
再び動き出したような気がした……。
正月、実家でおせちをいただいた。かつては母がいろいろつくっていたが、宅配で届いたホテルのものだった。だが、おせちらしさを感じられなかった。黒豆や数の子、膾などがまったくなく、テリーヌや柔らかいハム類などが中心だった。固いものを食べられなくなりつつある母を、父は気遣ったことが見てわかった。
日本画家の祖父が亡くなったのは、僕が高校3年生のときだった。九州に住んでいたので、夏休みにしか会うことができなった。画家の孫なのに、描くのはあまり上手ではない。だが『開運! なんでも探偵団』で日本画が出て来ると、なんとなく真贋がわかることがある。もっといろいろ教わっておけば、良かったと思うときが時々ある。
聞いておきたかったことのひとつに、帝銀事件の平沢貞通死刑囚のことがある。祖父は面識があったようで、「犯人のはずがない」と言っていたらしい。真相は闇だが、祖父との接点だけでも聞いておきたかった。もっとも、母からその話を聞いたのは、祖父が亡くなってから、ずっと後のことだった……。