再入院の週、妻は「どうにも止まらない」状態になった。

自宅で一昼夜、行ったり来たりの室内徘徊劇を繰り広げた。

常に話しながら、ときには声を荒げたり、喜んで拍手をしたり……。

 

僕が横になっているときは独り語りだったが、

たまらず起きてからは「keroぴょん」と語りかけてきた。

一連のパターンを無限ループのように何度も繰り返した。

50代はタフである、24時間以上寝ていない。

睡眠導入薬も何のその、駆り立てられるように歩き回った。

 

さらに困ったことに、ここが苦しい、あちらが痛いと訴え、

着ているものを脱ぎはじめた。

着せようとすると、怒り出す。

タイミングが合い着衣に成功しても、また脱いでしまう。

脱いでも凄い年齢は、超えているはずなのに……。

3月上旬の深夜から未明にかけては、まだ寒かった。

仕方なく暖房をつけ、高めの温度に設定する。

 

集合住宅のため、寝静まった時間帯の徘徊は足音が響く。

階下からクレームが来ないよう、

絨毯のない床部分に、布やタオルケットを敷く。

 

今夜だけで、どうにか止まってほしいと思った。

 

通所先の小規模多機能型施設でも、室内徘徊はあった。

2月中旬過ぎから、歩きはじめる時間は増えた。

自宅でも同じころから週単位で増えはじめた。

夕食前が多く、最長2~3時間は一連のパターンを繰り返す。

ただし、パターンの内容は少しずつ変化。

通所中のお年寄りや施設の職員さんに、

誰彼構わず話しかけ、訳の分からぬ暴言を吐いたりもした。

それがもとで、認知症のお年寄りから

「うるさい!」と殴られそうになったこともあった。

 

 

通所施設のケア・マネージャーからは、

2~3度クレームになるかもしれないと指摘された。

「落ち着かせる薬」「頓服薬」など、

施設との連絡帳には“アドバイス”が書かれていたこともあった。

頓服薬が効かなくなり、

昨年の秋から3カ月間も調薬入院したのに、

簡単に「薬で調整」などと書かないでほしいと思った。

 

本人からは「歩いていただけなのにダメと言われた」と、

怪訝な表情で話をされたことがあった。

独り言で「ねぇねぇ人権とかあるし、どうするの?」と、

介護師か看護師と思しき囁き口調を真似ることもあった。

 

唖然としたのは、先々のことでケア・マネージャーに相談したとき、

『問題行動』を治さないと難しい」とメールに書かれたことだ。

話し言葉なら構わないだろう。

言わんとしている意味だって十分に理解できる。

だが記録として残る書き言葉で、

しかもケア・マネージャーの使う言葉としては思慮を欠くものだ。

 

僕は、言葉の世界で社会人を過ごしてきた。

そのなかで15年間は、広告表現で毎週が戦いだった。

僕が担当した仕事が世間の耳目を集め、ニュースになったことだってある。

だからこそ、ある一定の立場の人が、

使ってはいけない言葉が存在することも理解している。

「認知症」「BPSD」「周辺症状」という言葉が生まれた理由を熟知していれば、

『問題行動』という用語は使えないはずである。

TVでコメンテーターが言ったら、間違いなく謝罪もの。

フーテンの寅さんではないが、「それを言っちゃあ、おしまいよ!!」

立場によっては失職することだってある。

たまらず指摘したが、いまだに理解が得られないようだ。

 

結局は、ケア・マネージャーの立場より、

管理者の指向のほうが強くなってしまったのだろうが、

これは精神科病院での必要以上の拘束などにも共通すること。

詰まるところ「管理・運営と経営」の問題に行きついてしまうのだ。

当事者や家族に寄り添うのは、簡単ではない。

 

若年性アルツハイマーの人が、高齢者と十把一絡げになると、

思いがけない軋轢を生んでしまうのだ。

可愛そうなのは、本人である。

何も好き好んで徘徊や、大声を上げているわけではないのだ。

妻に安息の場は、果たしてあるのだろうか?

 

今日は、テーマが大きすぎて、ワインを飲む余裕がなくなったようだ……。