妻が入院してから2週間が経った。妻がいなくなって、ガランとした部屋の中は、足元から寒さを感じる。今ごろ妻は何をしているのだろうか? 

前半の5日間は実に目まぐるしかった。というのも、3つの病院を移動したからだ。地元の大学病院⇒都下・多摩地区の病院⇒市内の認知症専門病院。なんでそんなことになったのかといえば、救急搬送されたからだ。

未明の「お腹が痛いの。どうしたのかなぁ」というひと言が始まりだった。朝の5時半ごろ、完全に目が覚めてしまったらしく、妻は起き上がって室内徘徊をはじめた。それと同時に、認知症の周辺症状が“お腹の痛み”より激しくなった。それでも、時折、「お腹が痛い」と呟く。結果、かかりつけの地元の病院に救急搬送となった。

 

救急搬送の前々日、地元の大学病院から市内外れの認知症専門病院へ、入院のオファーが出されていた。しかしながら、すぐには空きがなくウエイティングとなっていた。そんな矢先の救急搬送だった。幸い抗生物質で対応できる状態だったが、自宅には戻せないため1泊となった。ところが空きの出るまでの残り3~4日ほど、地元の大学病院も満床だった。苦肉の策として、都下の病院が一時的な待機場所となった。妻は病院のドクターカーで運ばれていった。

そんなつい先日の出来事が、どういうわけか遠い思い出のように感じられる。たった1杯のワインのせいかもしれない。カナダ・オンタリオ州の『2019 13th ストリート・ガメイ・ヴァン・グリ』(3,850円)の薄いピンクオレンジの色合いは、春先の花みたいな色合いだ。酸が高く、白い花のような香りのするオレンジワインでキレがいい。

 

 

『13thストリート』の淡い色合いのように、街はパステル系に色づきはじめた。菜の花、こぶし、モクレン、そして桜……。今日は、妻の入院先に絵ハガキが届いたころだろう。

1年前にふたりで愛でた桜の写真をハガキにコラージュして送った。小田原城、目黒不動尊、二ヶ領用水、府中の森……1年前まではいろいろなところにを見に行けた。私鉄のひと駅分くらいは難なく歩くことができた。なのに、今春、妻はを見ることすらできない。

コロナ禍、リアルの面会ができないだけでなく、外気に触れる機会すらない。春を知らないまま、無機質な病棟の中で時が過ぎていく姿を想像するといたたまれなくなる。

来月のモニター越しの5分間面会の際、僕の顔を覚えているだろうか? 忘れられないように、を背景にした僕の写真もハガキに散りばめた。

 

ハガキをポストに投函しに行く道すがら、袴姿の女学生たちとすれ違った。12月末に退院した妻と、年明けからの1ヵ月間、1980年代の音楽をよく聴いた。その中の1曲が斉藤由貴の『卒業』で、思わず口ずさみたくなってしまった……。妻が僕から卒業(=忘れる)しないこと祈ろう。色づいてゆく街とは裏腹に、ちょっぴりセンチメンタルな気分になった……。