oriami | caqu-caqu日記

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おじいちゃん、おばあちゃんのタンスを覗くと、昔の洋服って本当によくできているし、いいもの持ってるなぁ、と思った事はありませんか?
サキュウは、自分の子供や孫から同じように感じてもらえるような洋服作りを目指して、日々がんばっています。

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服装学校の学生さん向けのフリーペーパー「oriami」に掲載されました。

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誌面はこちら。

2月のroomsでお会いした記者さんにフレンドシップデニムの意義を熱く語ったところ、激しく賛同していただきまして、掲載していただきました。


学生さんで思い出しましたが、7月5日に放送されたカンブリア宮殿に出演されたセーレンの川田社長は、本社採用で入社したものの、鼻っぱしらの強さが災いして5年も工場勤務で干されたそうですが、この経験が自分の礎になっているとおっしゃってました。

かくいう自分も入社して早々、青森と秋田の工場で約1年研修させられたクチ。
私も鼻っぱしらが強かったですが、それが理由ではなく、物作りを知らなければデザイナーの資格なしという、EDWINの方針からでした。
当時はどの会社も新人に現場を経験させて、叩き上げを育成しようという意識が高かったんですよね。


時は平成元年4月。
寝台列車「あけぼの号」で向かったのは青森県西津軽郡森田村の工場。

工場の立地は総じて田舎ですから、津軽弁が強くて、最初の2週間は何を言ってるのかまるで理解できませんでした。

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こんなようなのどかさ。


そこは熟練工場で半年ほどいて、その後は秋田県五城目町に移動して、できたばかりの新工場の管理指導をさせられたのです。
上司からは1日1,000本上がるまで帰って来るなと言われましてね。
まだ21才のペイペイですよ。
本社の人間は私たった一人で、人員は30人ほど。
経験者は親工場から来た3人だけでした。

でも、無茶ですよ!とは思わなかったんです。
そう判断できる知識すらなかったんですね。
素直に「わかりました。」と。

ほとんどが未経験者ですから、線の上を正確に縫う練習から教え込まねばならず、製品を縫わせてもらえたのは、どこかのセール商品だったでしょうか、稼働後1ケ月してからでした。

材料の置き場を変えたり、流し方を変えたり、壊れたミシンの修理と、そらもう帰りたい一心で試行錯誤をくり返して、半年後にはどうにか1000本上がるようになったのです。
これが早かったのか遅かったのか判らないですが。


20年経った今でもこの経験が自分の基礎となっています。
これがなければcaquはできなかったでしょう。

斜陽産業の繊維業界では、新卒を工場研修させる体力はどこにもありませんし、国内に自社工場を抱えるアパレルもだいぶ減ってしまったでしょう。
それだけに新卒を育てられる環境も、スキルのある上司や先輩も少なくなってしまったと聞きます。

年間500アイテム展開するブランドでさえ、デザイナーは3人しかいないのが実態ですから、物作りの現場に行って知識を積むヒマもないでしょう。


私たちの世代がふがいないばかりに、学生の皆さんにとって大変な時代になってしまいましたが、20年後の自分を想像しながら就職先を選んで、がんばって欲しいものです。


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これがのどかな五城目町。
当時はコンビニなどなく、休日にやる事と言えば、車で10分の八郎潟でバス釣りくらいでした。
バス釣りがまだ全然知られてない頃だったので、魚がスレてなくてパラダイス。
工場終わりにやった1時間で30cmオーバーが10本くらいは当たり前のいい時代でしたよ。